『独裁が生まれた日』
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『独裁が生まれた日 習近平と虚構の時代』大熊雄一郎著
[レビュアー] 遠藤乾(国際政治学者・東京大教授)
市井の人抑圧 中国の現実
「独裁は往々にしてドアをノックする音から始まる」。印象的な一節は、アーサー・ケストラーのベストセラー『真昼の暗黒』を彷彿(ほうふつ)させる。
習近平のもとで深まったディストピア。お隣の中国を覆う個人独裁の現実を、この本は市井の人たちの日常を大事にしながら活写する。
リアルな分、愉快ではない。習近平の肖像画に墨をかけ、そのさまをSNSに投稿した若い女性は、拘束され、薬漬けにされ、消えた。父親は獄死する。
抑圧された宗教集団に寄り添った人権派弁護士は、「騒動挑発罪」により逮捕され、罪を認めないぶん長期に及んだ禁錮の末、目を伏して話すようになる。
中国における自由の闘士を描いた芸術家は、作品を没収され、しまいにはアトリエを追い出される。
ここでは「法治」は、「法の支配」ではない。それは韓非子流の「法による支配」であって、「法」は共産党支配の道具に過ぎない。
2010年前後には、ウェイボ(微博)などをつうじて、いくばくか自由な公共空間が成立したかに見えた。しかし、評者自身がそのころ話し込んでいた知識人は、いまや黙るか、捕まるか、亡命した。みなドアを叩(たた)かれている。
このディストピアの近年の起点は、天安門事件だ。自国市民を軍により虐殺した過ちは、決して語られてはならぬ。党の無(む)謬(びゅう)性(せい)の影はいまだに中国を覆う。
それでも個人独裁への歯止めを、トウ小平は党総書記の三選禁止、68歳定年に定めた。それを習近平は、いとも簡単に払いのけた。
恣意(しい)的な拘束は、中国人のみならず外国人にも及ぶ。いきおい日本の知識人も訪中をためらう。やせ細る交流は、現地発の生きた情報が、日中間のネットワークとともに、希薄になることを意味する。
この本は、その穴を埋めゆく。見えてくる隣国の独裁は非情だ。同時に、それに抵抗する中国の市井の人びとの勇気をも伝えてくれる。かすかな希望がそこにある。(白水社、2750円)