『22歳の扉』
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『22歳の扉』青羽悠著
[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)
流れゆく青春 濃密に
来た来た来た来た。読む方が恥ずかしくなるようなそれが、来た。大学生の青春である。机には脚が、家には屋根が必要なように、物語には青春が、いつの時代にも必ず創り出されていなければならない。それが、来た。
舞台は京都の町。数学を学ぶ主人公、朔を学生たちが囲む。キャンパスの地下室に巣食う、学生の運営するバーが根城だ。偶然店に迷い込んだ朔は、マスターの役を押し付けられる。
サークル、友人、恋愛、酒、セックス、ついでに学問。大人への入り口に投げ込まれ、青春を自作自演の「苦悩」で塗り重ねる学生たち。
話の軸は恋愛だ。男も女も、近づき、悩み、性欲を処理した挙句、相手との心の距離感の赴くままに別れていく。朔の前にも複数の女性が現れては去る。ご丁寧に、恋敵の死も用意される。背景は学生自治か。といっても、政治や社会を憂えるでもなく、部室確保を巡って管理側と軋轢(あつれき)を起こす程度のお遊戯である。外の社会に論理と思想をもって関わることのない、閉塞(へいそく)と未熟と孤独を絵に描いた若者たちだ。
朔は「何も持たないまま四回生になって」いったらしい。しかし、その表層の言葉とは裏腹に、著者が丹念に描いたのは、時とともに別人のように変化していく朔であり、友人たちであり、恋人たちだ。流れゆく青春の瞬間を組み止めて逃さない、執拗(しつよう)な筆が素敵だ。
現実に京都大学で過ごした書き手は、自分のことを書いたのかと、これから繰り返し指摘されるに違いない。その手の指摘は、著者にも読者にも、ただの余計なお世話というものだ。
しかし、読み手が恥ずかしくなるような青春小説を真顔で書くのは、現実からの隔たりが無く、記憶も価値観も「苦悩」も生々しい年齢に似つかわしい。青春通りの真ん中を真っすぐ歩くような、しつこく濃密な描写。人生の至当な時間帯に、書き手がそれに取り組んでくれた事実が、私には嬉(うれ)しい。(集英社、1980円)