『人工知能のうしろから世界をのぞいてみる』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
AIの技術は「哲学」と切り離すことができない
[レビュアー] 川端祐一郎(京都大学大学院准教授)
人間のような「心」を持つAI(人工知能)を「強いAI」、そうでないものを「弱いAI」と呼ぶことがある。最近話題の「生成AI」を含めて、既存のAIは人間の指示した翻訳や画像認識などの作業をこなすだけの受動的な機械に過ぎないので、全て「弱いAI」に分類される。こうした実用的分野のAIは、そもそも「心を持つ存在」であることを求められているわけではないので、今後もずっと「弱いAI」であり続けるかも知れない。
しかし、「強いAI」に大きな需要がありそうな分野もあって、その一つがテレビゲームである。ゲーム内のキャラクターには、本当に「生きている」ように振る舞うことが求められるので、その動作原理を洗練させるべくこれまでも多くの努力が重ねられてきた。
本書は、二十年以上にわたりゲームAIの開発に携わってきた三宅陽一郎氏の近年の論考から十二編を選抜し、一般の読者にも理解しやすいようまとめ直したエッセイ集である。本書で初めて三宅氏のAI論に触れた読者は、少なからず驚きを感じるに違いない。問題意識が極めて「人文学」的なもので、理工系の無機質なイメージとは正反対だからである。例えば第一部では、フッサールの現象学、ギブソンのアフォーダンス論、メルロ=ポンティの身体論、ユクスキュルの環世界論、ベルクソンの遅延の理論などを基礎として、近代人の思考を覆ってきたデカルト的合理主義をいかに乗り越えるかという問題が論じられる。人間と同じように知り、感じ、考え、振る舞うAIを開発しようと思うなら、そもそも人間がどのような存在であるかを正しく捉える必要があり、その出発点を与えるのは数理的なモデルではなく、哲学的な洞察なのである。第二部以降では、高度なAIの存在を前提とした場合の、テレビゲーム内のマップや現実の都市空間のあり方、コミュニケーションの変容などが論じられるが、その背後にあるのも人間と環境、そして人間と他者の相互作用をめぐる哲学や心理学である。
三宅氏は「人工知能を研究することはすべてを研究することと等しい」と言う。知能の謎に取り組むということはすなわち、人間と世界の関わり合い方を、双方の全体像とともに把握しようとする努力にほかならないからである。断片的な知識が乱れ飛ぶ昨今のAIブームの中で、AI研究が「総合知」であり「人間の学」でもあることを再確認させる本書のメッセージは、大きな意味を持っている。