『監督の財産』
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848ページ、約1キロ。栗山英樹の集大成本はなぜ「厚い」?
[レビュアー] 菊地高弘(フリーライター)
12年にわたる監督生活の集大成として、栗山英樹監督が思いを綴った『監督の財産』が話題を呼んでいる。
特にその分厚さは注目の的だ。総ページ数は848。書店に並ぶ姿は壮観でもある。果たして、その内容は、そしてその「分厚さ」に込められた意図とは――?
鈴木亮平が主演したドラマ・日曜劇場『下剋上球児』の原案者であり、『野球ヲタ、投手コーチになる。』など独自の視点で「野球」を描いた人気ノンフィクションライターの菊地高弘さんによる書評を紹介する。
ちなみに菊地氏は、今から14年前、岩手で取材中に高校1年生だった「大谷翔平」を見てこんな投稿をしていた「先見の明」の人でもある――。
花巻東、初戦で敗れましたが、6回から投げた1年生・大谷翔平投手は衝撃でした。はっきり言って怪物です。1年生を誉めすぎるのは怖いですが、資格は十分あると思います。球界の宝であるダルビッシュのような投手になってほしい。 #kokoyakyu- 菊地選手 (@kikuchiplayer) October 8, 2010
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昨年の年末、とあるパーティーで栗山英樹さんに挨拶する機会に恵まれた。
ドラフト候補を取材することが多い私にとっては、今から14年前に花巻東高1年生だった大谷翔平を目撃したことは密かな自慢になっている。16歳の大谷を見て「間違いなく球界の宝になる」と確信した私であっても、まさかプロの世界で二刀流として大成功を収める未来図は思い描けなかった。
大谷本人すら想定していなかった「二刀流」という選択肢を与え、MLBに逆輸入し、WBC制覇という結実を迎えた。その過程にかかわった栗山さんに、いつか感謝の思いを伝えたいと思っていた。
私は栗山さんに「想像を超える大谷翔平を見せてくださって、ありがとうございました」と述べた。すると、栗山さんは微笑を浮かべてこう答えた。
「いやぁ、僕は何もしていないんですけど。翔平が頑張ってくれただけですから」
その時は、ただ謙遜しているのだろうと受け取った。だが、栗山さんの新刊『監督の財産』を読んで、見方が変わった。「何もしていない」という言葉に、栗山さんの監督としての哲学が詰まっているような気がしてならなかったからだ。
まずは、『監督の財産』についてお伝えしたい。同書は栗山さんが監督生活12年間の集大成として著した一冊。現物を初めて手に取った読者は、例外なくたまげるはずだ。全848ページ。このボリューム感は、2023年WBCで村上宗隆が背負ったプレッシャーの重さに匹敵すると言ったら大げさだろうか。
同著は約10万字の加筆ページがある一方で、栗山さんの過去の著作5冊分を再録している。それならば、「過去の著作部分を再編集して、スリム化すればいいじゃないか?」という意地悪な見方をする人もいるはずだ。
だが、栗山さんはあえて、過去の著作をそのまま残すことにこだわっている。
〈「過去の言葉」は発した瞬間に見せた色と違う色になっている。(中略)監督として「記憶が鮮明な時期」と「今」で、何が同じで、何が違うのか。本書はそれを知ってもらうことに挑戦している。〉(『監督の財産』12ページより)
この文章を読むだけでも、栗山さんがいかに「言葉」の重みを実感しているかが伝わってくる。
栗山さんはコーチ経験すらないまま、北海道日本ハムファイターズの監督に抜擢された。そんな栗山さんにとって、心のよりどころになったのは故・三原脩さんだったという。NPB史上2位の勝利数を挙げ、「魔術師」の異名を取った名将だ。
生前に交流のなかった栗山さんは、活字を通して三原さんの考えに触れ、強い感銘を受けたという。栗山さんは三原さんの著作を含め、数々の書籍を読み漁るなかで、不思議な体験をしている。栗山さんは自身が求める言葉に出合うたびに、「字が光る」体感をしたというのだ。
〈そうした言葉と出会う時というのは──ちょっと信じがたいかもしれないけど──本に書いてある「字が光る」という経験をする。いや、浮かび上がる、が正確かもしれない。当然、そう感じているだけなのだけど、「ああ、これだ」という言葉は、そのくらいの力をもって迫ってくる。あるいは、「この言葉、考えはいつか自分を助けてくれる」と思わせられる。〉(『監督の財産』84ページより)
この本が848ページにまたがる理由。
プロ・アマ問わず、全国津々浦々で奮闘する指導者が本書を手に取った時、「字が光る」体験をするかもしれない。その時のために、自分が成功した時、失敗した時にどんな思いを持っていたかを克明にしたためたい――。
そんな栗山さんの思いが伝わってくる。
だからこそ、『監督の財産』なのだろう。
近年、野球の指導者に求められるハードルはどんどん高くなっている。情報過多の時代で画一的な指導では限界があり、子どもに本気で向き合おうとしても「パワハラ」と糾弾される。「旧態依然とした指導者に問題がある」と、野球競技人口激減の責任の一端を押しつけられてもいる。
そんななか、選手たちを少しでもサポートしたいと日々学んでいる指導者がいることも確かだ。そのような指導者にとって、『監督の財産』は一筋の光になるはずだ。
なぜ、栗山さんは大谷について「何もしていない」と語ったのか。その理由をここでつまびらかにするのは、申し訳ないけれど野暮な気がする。
まずは分厚いページを開いてみてほしい。きっと848ページのどこかに、光り輝く文字の数々が浮き上がってくるはずだ。