『抒情の変容 フランス近現代詩の展望』廣田大地/中野芳彦/五味田泰/山口孝行/森田俊吾/中山慎太郎著
[レビュアー] 郷原佳以(仏文学者・東京大教授)
詩人で異なる「私」「情動」
抒(じょ)情(じょう)詩(し)といえば、叙事詩・劇詩と並ぶ詩の三大部門の一つである。叙事詩は『イリアス』など、物語や歴史的出来事を記述する韻文、劇詩は登場人物の台(せり)詞(ふ)による韻文で、それぞれ部分的に小説と戯曲が受け継いだとすると、19世紀以降の詩は抒情詩が中心とも言える。
しかし、1990年代、フランスの文学研究者たちが「抒情主体」という言葉を用い始めたときには、若干違和感を覚えた。主体が問い直され、テクストの「私」は作者とは違うという考えが浸透したにもかかわらず、自分の感情を歌い上げる主体としての詩人に焦点を当てるのかと思ったからである。だが、その論を辿(たど)り、「抒情主体」も「抒情性(リリスム)」もそれほど単純ではないことを知った。そんなわけで、「抒情主体」論の展開を踏まえた「フランス抒情詩研究会」の活動には関心を寄せていた。本書はその活動成果である。概念を整理する序章に続き、ボードレールやユゴーなど19世紀の詩人をめぐる論考三篇(へん)、ピエール・ルヴェルディやジャック・レダなど20世紀の詩人をめぐる論考三篇を収める。
抒情性の捉え方は詩人によって異なるが、それが単なる詩人の内的心情の吐露ではないことが本書からわかる。ボードレールの抒情性は、作者の個別性から離れて事物の普遍的側面を非人称的に見つめる姿勢であり、「私は可能な限り私から遠くで書く」という現代詩人アンドレ・デュブーシェの言葉は、「慎ましさのリリスム」と形容されるアントワーヌ・エマーズの抒情詩に生きている。
もちろん、抒情詩の音楽性を忘れてはならない。「リリスム」は語源的に「竪(たて)琴(ごと)(リラ)」に由来する。19世紀に準拠軸が絵画から音楽へ移行したフランス詩にとって、抒情詩とは何より音楽的な発話だ。20世紀にはまた視覚モデルが優位となったが、ジャズ愛好家のレダは、諸要素が固有のリズムをもって響き合う場に抒情詩を見る。
抒情詩を通し、詩の「私」とは何か、「情動」とは何か、といった根源的な問いに向き合わせてくれる書物である。(幻戯書房、4730円)