<書評>『ギリシア悲劇余話』丹下和彦 著
[レビュアー] 鷲田小彌太(哲学史家)
◆古典の読みどころを「謎解き」
ギリシア悲劇の「切所(せっしょ)」(=難所)を開陳する、「推理」小説仕立ての「古典」読解本。小さいから、滋味十分。
第2章「帰って来た男」。出稼ぎで家を出てから20年、はじめの10年は戦いに明け暮れ、後の10年は洋上をさまよい、たった1人で我が家に辿(たど)り着く、「放蕩(ほうとう)男」オデュッセウス。『オデュッセイア』の主人公だ。ところが(貞節を守り通した)妻ペネロペイアだけは、夫を認知しない。夫婦だけが共有する「秘鍵」を、夫が口にしないからだ。エッ? そんな! これじゃ、オデュッセウスの放蕩は終わらない? この場面は、のちに秘密が明かされ、妻が夫を認める決定的な解決の場を準備するための「ジラシ戦法」なのだ、と著者。
第7章「家族の肖像」。エウリピデス『フェニキアの女たち』について著者は、ソポクレス『オイディプス王』で広く知られる、オイディプスとその父母、妻、子等との「尋常ならざる」関係ではなく、錯綜(さくそう)する「家族」(王族)の具体的また日常的な動向に視点を置いていると読み解く。そして一族の争いの背景に、常に支配権と財産があると言い当てる。
一方でオイディプスは、自分の人生を嘆息まじりにこう総括する。<不幸な星の下に生まれたこのわたしは、実の父親を殺(あや)め、哀れ極まりない母親の寝床へ入り込み、わが兄弟となる子供らを生んだ。そして彼らをわたしは殺した。…どなたか神の指図なしに、わが眼とわが子らの生命に手を加えたりするほど、愚かな人間ではない>。まぁ、読者には老人の愚痴、責任逃れ、としか聞こえないだろう。
同じ著者の『ギリシア悲劇入門』による『オイディプス王』「読解」を紹介したい。<ひと口で言えば世界最古の…探偵物語です。ある殺人事件があって、…何とか真犯人にたどり着きますが、捕らえた犯人はほかならぬ探偵それ自身であった…>。興味津々だが、こんな名=迷探偵、いまもいるし、悲喜劇の探偵役にこそふさわしい、と評者には思えるが。
(未知谷・2200円)
1942年生まれ。大阪市立大、関西外国語大名誉教授。『旅の地中海』。
◆もう1冊
『食べるギリシア人』丹下和彦著(岩波新書)