『一握の砂・悲しき玩具』
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今死にしてふ児を抱けるかな
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「赤ん坊」です
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石川啄木に長男が誕生したのは1910(明治43)年10月4日、啄木24歳のときである。20歳で得た長女に続く第2子だった。
真一と名付けたこの男児は生まれつき病弱で、同月27日に死去する。わずか24日間の命だった。
真一が生まれたのは、啄木が東雲堂書店と初の歌集『一握の砂』の出版契約を結んだ日だった。稿料の20円は赤ん坊の薬代となったが、闘病むなしく、幼い命の灯は消えたのだった。
啄木は、すでに出版社に渡していた歌稿の最後に、真一の死を悼む歌を付け加えた。
〈夜おそく/つとめ先よりかへり来て/今死にしてふ児を抱けるかな〉
という歌で始まる8首は、わが子への挽歌であると同時に、死に目に会えなかった父親が子の死を実感するまでのドキュメントになっている。
〈二三こゑ/いまはのきはに微かにも泣きしといふに/なみだ誘はる〉
〈死にし児の/胸に注射の針を刺す/医者の手もとにあつまる心〉
〈底知れぬ謎に対ひてあるごとし/死児のひたひに/またも手をやる〉
愛児の死からおよそ1年半後の1912(明治45)年4月13日、啄木もまた病死する。26歳の短い生涯だった。
〈呼吸すれば、/胸の中にて鳴る音あり。/凩よりもさびしきその音!〉
こんな歌を冒頭に置いた第2歌集『悲しき玩具』が刊行されたのは、死の2か月後のことだった。