なぜ「シティ・ポップ」は悲しい歌詞でも悲哀を感じないのか?

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昭和歌謡史

『昭和歌謡史』

著者
刑部芳則 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
芸術・生活/音楽・舞踊
ISBN
9784121028181
発売日
2024/08/20
価格
1,155円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【毎日書評】なぜ「シティ・ポップ」は悲しい歌詞でも悲哀を感じないのか?

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

昭和歌謡に関する書籍は、これまでにも数多く出版されてきました。昭和40年代に「懐メロ」ブームが起きたことが発端だったようですが、『昭和歌謡史-古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで』(刑部芳則 著、中公新書)の著者によれば、それらの大半は歌謡曲を懐かしむ要素が強いものだったそうです。

つまり、その楽曲が生まれた意味や、歴史のなかでの意義づけができていないということ。そればかりか発売枚数が違っていたり、発売禁止ではない曲を発禁扱いにしているなど、不正確な情報も少なくないのだとか。

しかし昭和歌謡史の本質は、楽曲の生まれた背景や歴史的意義はもちろんのこと、昭和初期に登場した「流行歌」の存在について考察しない限り見えてこない――著者はそう訴えています。

「流行歌」である歌謡曲は演歌やポップスなど細かいジャンルに分けられていきましたが、それらはもともと歌謡曲という親から生まれたもので、歌謡曲の要素を色濃く残した子どもたちであるというのです。そうした流れを理解するには、戦前・戦中・戦後と時代を切り分けることなく、歌謡曲の歴史を検討する必要があるわけです。

そこで本書では、筆者の思い出としての同時代史を描くのではなく、日本史研究の専門的な手法を用いながら、日本近現代史として昭和歌謡史を描いてみたいと思う。したがって、従来の昭和歌謡に関する書籍のように、この曲が流行していた頃に、こんな事件があったとか、こんな物が流行っていたなどと言う年表を文章化するようなことはしない。(「はじめに」より)

これまで、昭和歌謡史が日本近現代史の研究対象にされることはなかったかもしれません。そんななかにあって特徴的なのは、本書が「日本史の歴史研究者である著者による初の昭和歌謡史本」である点。あくまで日本近現代史の研究対象として昭和歌謡史に焦点を当てているわけです。

きょうは第七章「歌謡曲の栄光から斜陽」のなかから、近年リバイバル・ブームが起きている「シティ・ポップ」に関する記述を抜き出してみたいと思います(以後は本書に従って「シティーポップ」と表記します)。

シティーポップの不思議な新鮮味

シティーポップについての明確な定義はないものの、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)と呼ばれた大人向けの洗練されたロックと、フュージョン(ジャズをベースにロックやソウルなどの要素をも取り込んだジャンル)のテンション・コードやブラック・コンテンポラリー(ブラコン)の16ビートで装飾されているところに特徴があると著者は指摘しています。

また、70年代までのアイドル歌謡と大きく異なるのは、悲しい歌も明るく聞こえるという新しいサウンドにあったともいいます。

そしてここでは歌謡曲とシティーポップの差を明らかにするべく、昭和50年9月の研ナオコ「愚図」(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)(27万2350枚)と、同58年11月の杏里「悲しみがとまらない」(作詞:康珍化、作曲:林哲司)(42万2980枚)を比較しています。

「愚図」の主人公の女性は、友人から好きな相手を聞かされると、三枚目を演じながら両者の仲立ちを買って出る。

しかし、彼女もその相手の男性に片思いであった。本当の自分の思いを打ち明けることもできず、身を引くという悲恋ものである。この歌詞にブルース形式の旋律がつくと、とても立ち直れないような悲しみが伝わってくる。(325ページより)

これに対して「悲しみがとまらない」では、主人公の女性が友人の女性に交際相手の彼氏を会わせたところ、それがきっかけとなって彼氏を奪われてしまうという悲劇である。

ただ、どのようにして彼氏を奪われることになったか、「愚図」のように女性が自分を責めることはしない。最後まで彼氏を奪われてしまって「悲しみがとまらない」という事実だけが伝わってくる。(325ページより)

本来であれば「愚図」の彼女どころではない「悲しみ」のはずなのに、全体的にカラッとした曲調であり、胸を締めつけられるような印象は皆無。“I Can’t Stop The Loneliness”という14の音数を7の音符数で示した英語譜割り始めるところにも、悲しさを抑止する効果が。

また、研ナオコが悲しげな表情で歌うのに対し、杏里は笑みを浮かべながら歌っており、そこにも違いが表れているといいます。これは、非常に興味深い指摘だといえるのではないでしょうか。(324ページより)

アダルト歌謡とシティーポップの差異

そしてもうひとつ、アダルト歌謡とシティーポップも比較されています。取り上げられているのは、昭和60年前後に不倫をテーマにつくられた立花淳一「ホテル」(作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介[昭和60年2月の島津ゆたかのカバー曲が16万1990枚])、テレサ・テンの「愛人」(作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし)と、小林明子「恋に落ちて」(29万9470枚)(作詞:湯川れい子、作曲:小林明子)(95万5360枚)。

昭和五九年二月に発売された「ホテル」では、身勝手な男性と、ひたむきで弱い姿の女性が強調されて描かれている。「ホテルで逢って、ホテルで別れる、小さな、恋の幸せ」「あなたの黒い電話帳、私の家の電話番号が、男名前で、書いてある」「奪えるものなら、奪いたいあなた」と、とても子供に聴かせられるものではないアダルトな歌謡曲である。(326ページより)

昭和六〇年二月の「愛人」は「たとえ一緒に街を、歩けなくても」「わたしは待つ身の、女でいいの」と、このような控えめな女性がいたらという男性願望の女性像が描かれる。アダルトなポップス寄りの歌謡曲であり、耐え忍ぶ女性の心情を描く。哀調を帯びた旋律が魅力的である。(326ページより)

「恋に落ちて」は、昭和六〇年八月から放映された不倫をテーマにしたドラマ「金曜日の妻たちへIII」の主題歌となった。

「Darling, I want you、逢いたくて、ときめく恋に、駆け出しそうなの」と恋愛感情が抑えられない一方、相手に電話をかけようとして「ダイヤル回して、手を止めた、I’m just a woman Fall in love」と我に返る。

「あなたが欲しいの」や「恋に落ちた女です」とすると「演歌」のようになってしまう。ここを英語の歌詞にしているところが、アメリカンポップスを好む湯川れい子らしい。結ばれない愛だとわかっても、シティーポップの旋律により、明るい希望がかすかに見える。(326ページより)

たしかにこうして対比してみると、哀調を帯びた旋律によって悲しみやつらさを訴える歌謡曲と、そういったものを感じさせないシティーポップとの違いがよくわかります。

また、このころに不倫をテーマにした歌謡曲が生まれた背景には、それまでタブー視されてきたものがタブーではなくなってきた社会変化を読み取ることができるようです。

昭和三〇年代には男性と女性がお互いに夜のムードを醸し出すデュエットソングが登場し、四〇年代のアイドル歌謡ではタブー視されていた女性が男性を誘う際どい歌詞が氾濫した。

昭和四〇年代には裏文化であったものが、五〇年代半ば以降には表文化へと変わってきてしまった。お色気路線や同棲生活が歌謡曲の題材として当たり前になると、今度はもっと刺激的で手の届かないものを求めるしかない。そのタブーな題材が不倫であったのではないか。(327ページより)

つまりは歌謡曲の題材が行き着くところまで行き着いた――著者はそう分析しているのです。(325ページより)

歌謡曲に関する新聞、雑誌の記事はもちろんのこと、作詞家、作曲家、歌手たちが書き残した一時史料を駆使し、各局が生まれた背景を描いた一冊。しっかり読み込んでみれば、聴き慣れた昭和歌謡がこれまでとは違って聞こえるようになるかもしれません。

Source: 中公新書

メディアジーン lifehacker
2024年9月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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