『月と散文』
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或阿呆の半生
[レビュアー] ピストジャム(芸人)
くわえて、この章が変わるタイミングで一人称が「僕」から「私」に変化する。暗い夜道を照らしてくれてた満月の光は消え去り、いまあるのはたよりない二日月だけ。それでも歩いて行かなあかん。立ち向かわなあかん。いつかこうなるとはわかってたから。成長とは違う、大人の覚悟が感じられる。
内容は、言わずもがな。先ほど「10年ぶりのエッセイ」と表現したが、それは便宜上そう書いただけで、これはエッセイの枠に収まる作品じゃない。
まさに散文。もしこれをエッセイとするなら、キリストの誕生で西暦が紀元前と紀元後に分かれたように、今作でエッセイの歴史は塗りかえられた。
一般的にエッセイは、体験や気になった事象をもとに筆者がそれらに対する感想や思いを語る。でも、この作品はそれだけにとどまらん。作者自身が「本当にあったことと、自分が思ったことを切り離す作業は苦手だ」と語るとおり、この作品には体験と思考、現実と妄想の境界があいまいになったゆらぎが描かれてる。
脳内に現れるさまざまな人物。謎の女性や男性、芸人や探偵、ゾンビや死神、しゃべる証明写真機まで登場する。舞台が近未来の日本になることも。
まるで作者の脳内を旅してるよう。最初はとまどう読者もいるかもしれんけど、読んでると不思議と心地よくなってくる。さらに読み返すたびに、万華鏡のように引かれるポイントが変わっていくのも魅力。
『月と散文』がすさまじいのは、そんななかでばっちり笑いも取ってくるところ。漫才やコントを彷彿とさせる軽妙で奇天烈な会話、強烈なエピソード、歌ネタやフリップネタなど全部やってくる。芸人としても、いかつすぎる。
「こんなん読んだことないです」。又吉さんと飲んだときに感想を伝えた。
すると又吉さんは、突然店を出て、月を仰いで咆哮したかと思うと、虎になってビルの合間に消えて行った。