『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』
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次の一歩をみんなで
[レビュアー] 山崎ナオコーラ(小説家・エッセイスト)
「CODA(コーダ)」という言葉がある。
Children of Deaf Adultsの略で、聴こえない/聴こえにくい親のもとで育つ、聴こえる子どものことを指す。
生まれた時から親を通してろう文化との関わりを持つ子どもたちは、どんな生活をして、どういった感情を持っているのか?
その一端をリアルに綴ったのが五十嵐大さんによるエッセイ『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』(紀伊國屋書店)だ。コーダである著者が幼少期の葛藤や自身のなかにある偏見と向き合いながら綴った本作は、ろう者とも聴者とも違うアイデンティティをもち、複雑な心を抱えて揺れ動く日常が浮かび上がる。
このエッセイを読み、「当事者ではない人にはなかなか想像が難しい領域」だ、と綴ったのは作家の山崎ナオコーラさん。その理由とは?
山崎さんが本作に寄せた書評を紹介する。
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ここ数年で一気に広まった「コーダ」という言葉。2022年公開の映画『コーダ あいのうた』はコーダが主人公の物語で、この言葉が広まっていくきっかけのひとつになったかもしれない。私が「コーダ」という言葉を知ったのもそれぐらいの時期だ。この映画も観て、コーダという言葉を身近なものとして捉えるようになった。「耳が聴こえない、あるいは聴こえにくい親のもとで育った、聴こえる子どもたち」を意味する「コーダ」。2024年現在、言葉の意味を知る人はかなり増えてきている。言葉を知ったあとにどうするのか……。次の一歩を示唆してくれるのが、『「コーダ」のぼくが見る世界――聴こえない親のもとに生まれて』だ。
今の世の中には聴こえる人のほうが多く、この社会はまだ未熟で、「聴こえる人に合わせたシステム」で運営されがちだ。聴こえない人もそうだが、コーダもマイノリティということになる。著者の五十嵐さんもコーダであり、マイノリティとして考えたり感じたりしたことを、わかりやすい言葉運びで綴っていく。
社会には様々なマイノリティの人がいて、呼称もいろいろとあるわけだが、差別的な言葉もあるし、呼称を使う際におっかなびっくりになりがちだ。差別とまでいかなくとも、他人へのラベリングはそのマイノリティの人たちを生きにくくする。けれども、「本人が自分自身にラベルを貼る行為は『居場所の発見』というプラスの意味をもたらすこともある」と五十嵐さんは書いている。確かに、自分へのラベリングはときに良い効果をもたらすかもしれない。コーダという言葉があれば、たとえ多数派ではなくとも、こういう悩みを抱えているのは自分ひとりではなく他に何人もいるのだ、と知ることができる。呼称があれば、他の人と連帯しやすくなるし、考えごとや議論が格段に進む。私も強い共感を覚えながら読んだ。
少し驚き、想像しながら読んだのは、親とのコミュニケーションにおいて共通言語がない、ということについて書かれた箇所だ。これは、当事者ではない人にはなかなか想像が難しい領域だろう。多くの人が、親とのコミュニケーションに悩みながら成長する。また、親、あるいはきょうだいなどがマイノリティで、その人とのコミュニケーションや一緒に社会参加するときに困難が生じる、という経験を持つ人も多くいるだろう。「コミュニケーションが難しい」「社会に対して違和感を覚える」というエピソードには、コーダではなくても、共感や理解を多くの人が持つに違いない。
だが、親と言語が違う、というのはコーダ特有の状況ではないだろうか。五十嵐さんの場合、ご両親がメインで使っている言語は日本手話、五十嵐さんがよく使うのはいわゆる日本語、ということになる。五十嵐さんも日本手話を使うが、子どもの頃、五十嵐さんの家には手話の勉強の必要性を感じさせないような雰囲気があったらしい。そのため、五十嵐さん自身は、子どもの頃に使っていた日本手話はお母さんの真似であり、上手というほどではなかったという。大人になってから学び直しを始めたそうだ。
未就学の頃は、むしろ親と濃厚なコミュニケーションが取れるコーダが多い、という話は興味深かった。うちに今、未就学児と小学生がいるので、これはなんとなくわかる気もする。幼いときのヴィジュアルや触覚やいろいろなものでのコミュニケーションを、家の中での対話として行なっていくとき、手話などのコミュニケーションに長けている親は、きっとうまくやり取りを進めるだろう。だが、小学生ぐらいになると、子ども本人も社会参加のようなものを始め、周りとの軋轢(あつれき)や比較などによって、親の言語を理解するのが難しくなっていくのに違いない。そうなってしまうのは、学校や社会がマジョリティ向けにできていて、それが家庭を侵害するということなのかもしれない、とも思った。
また、五十嵐さんの家で起きた手話の問題は、当時の社会問題に起因している。昔は口話(唇の動きを読み取り会話すること)が重視されていて、学校や家庭における教育では手話があまり使われなかったらしい。要するに、多数派である聴者に合わせられる大人に育てることを教育、と捉えてしまっていたのだろう。日本手話を教えるのは大事なことだ、という考えに、ひとつ上の世代は、なかなか辿り着けなかったのだ。
そういう空気は、今でもある。五十嵐さんは、「手話を言語ではなく福祉のためのツールだと捉えている人たちが少なくない」というドキッとするフレーズで現在社会を批判している。日本手話を言語として尊重することが、現状の社会ではまだまだできていない。日本語対応手話という、ろう者の言語である日本手話とは違う手話が、学校や社会でまだ多く使われている状況もある。聴者の言語に合わせることを、ろう者に強いてしまっているのだ。
この本を読んで、みんなで次の一歩を踏み出したい、社会を変えていきたい、と思った。