『年1時間で億になる投資の正解』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
「証券会社の窓口で勧められるがまま購入」悲惨な経験で“投資”がトラウマになった山口真由さんの恐怖心を取り除いた一冊
[レビュアー] 山口真由(ニューヨーク州弁護士)
山口さんは東京大学法学部在学中に司法試験と国家公務員I種試験に合格、卒業後は財務官僚を経て弁護士に転身し、ハーバード大学ロースクールを卒業してニューヨーク州弁護士登録。現在は信州大学特任教授として、執筆活動やテレビ出演に活躍中だ。
そんな華麗なキャリアをもつ山口さんだが、じつはこれまで投資では何度も苦い思いをしてきたという。社会人になって初めての投資信託はリーマンショックで惨敗し、その後も利益のあるなしにかかわらず運用会社に手数料を支払うばかりで、やがて「投資」はほとんどトラウマと化してしまったというのだ。
こうした悲惨な経験を経て、資産の多くを普通預金に眠らせることにした山口さんを再び投資の世界へ導いてくれた一冊がある。敏腕の金融ジャーナリストにして個人投資家でもあるニコラ・ベルベ氏の著作『年1時間で億になる投資の正解』だ。
いったいなぜなのか? 長年の取材と理論に自身の失敗談をまじえた本作を読んだ山口さんの書評を紹介する。
***
投資に関する本は読まないことにしてきた。第一に、もし投資家として成功しているなら、本を書いて売る必要なんてないはずだから。第二に、数字と理論が並ぶ本はたとえ役に立つとしてもつまらないから。本書はその固定観念の両方を見事にひっくり返してくれた。
呪文のような難解な数式も、ご託宣じみた複雑な投資理論も本書には登場しない。逆に、筆者の身近な友人から金融業界の巨匠まで、多彩な登場人物の人間味あふれるエピソードは読み物として純粋に面白い。そしてそのストーリーの中に市場や金融に関する構造的な知識がさりげなく織り込まれているのだ。これは投資よりも執筆を本業にしてきた筆者だからできたことだろう。
私自身の悲惨な投資経験
私自身の投資経験を振り返ってみると、それなりに悲惨だ。社会人になってはじめて証券会社の窓口で勧められるがまま購入したのは、アメリカの“安定的な会社”だけが対象と謳われた投資信託だった。購入時の手数料に加えて毎年3%程度の信託報酬を取られるタイプの資産は、しかしながら、そのわずか1年後に起きたリーマンショックによって3分の1にまで落ち込んだ。スーパーでお醤油を買うときにすら値段を見比べるケチな小心者にとって、毎月送られてくるレポートで桁違いの損失額を確認するのはこの上なく憂鬱だった。
それならばプロに任せようかと運用会社にお願いしたこともある。豊富なマーケット情報を持つ彼らが勧めてくれる個別株は確かに魅力的だった。「次のInstagramといわれています」「中国版のNetflixといえるでしょう」さすがはプロと安堵したのも束の間、そのうち一社は投資直後に会計不正が発覚し、投資額が何分の1かに目減りした。もちろん利益が出ているものもある。だがトータルでの大きな赤字に加えて、彼らは頻繁にスイッチ、つまり保有資産を売却して別のものを購入せよと求める。それこそが彼らの利益を得る手段なのである。気づけば、損失は常に私持ちにもかかわらず、手数料だけを淡々と支払わされている事実に愕然とする。
こうして私も投資にトラウマを持つようになった者の一人である。正直に告白すると、現時点で資産の多くを普通預金に眠らせたままでいる。そういう状況で、物心ついてはじめてのインフレ局面となり、「貯蓄から投資へ」という政府の大号令に戸惑っているのだ。投資をためらう理由はいくらでもあるのだ。多少下落したとはいえ、米国株も日本株もいまは歴史的な高水準である。高値掴みのリスクを避けて株安の局面ではじめるべきではないか。超優秀なプロが人生の過半を捧げて勝負するのが金融業界なのだそうだ。素人が参入してもカモにされるだけだろう。それでも成功できるのは、そういうプロが本気になって運用してくれるごく一部の超富裕層に過ぎない。そういう選ばれし者たちに仲間入りできないなら、そもそも手を出さない方が賢明ではないか。慎重派がこれでもかと吐き出す懸念の1つ1つに本書は根気強く応えてくれる。
“億り人”のサクセスストーリーとは違う世界観
さてここで冒頭の問いに戻ろう。投資を指南する人がなぜいまだジャーナリストを本業としているのか。第一の理由はさほど多くのページを繰らずに明らかになる。本書が勧める投資法は、一発当ててすっぱり仕事を辞めようなどというハイリスクハイリターン勝負ではないのだ。
「投資で成功した」と聞いて多くがイメージするのは“億り人”かもしれない。複数のチャートにかじりついてカップラーメンを食べているデイトレーダーや、初期の暗号資産に投資して資産を何十倍にも増やした先見の明を持つ個人、そういう垂涎もののストーリーが巷にあふれる反面、恐怖を煽る話もそれ以上に多い。今年の8月5日、上昇基調だった東京株式市場が1987年のブラックマンデーを超える過去最大の大暴落幅を記録したのは記憶に新しい。とある実業家は、この大暴落によって10億円程度あったはずの日本株資産がマイナス評価にまで落ち込んだとYouTubeで告白している。
そう聞くと、そんな博打みたいな相場に手を出すより、コツコツと貯蓄した方がよいと思うのが大多数だろう。こういうごく“ふつうの人”が採用すべきシンプルな投資法を説くのが本書である。すなわち、見込みのある(と信じた)個別株になけなしの全財産を注ぎこんで一攫千金を狙うのではなく、むしろ毎月給与の一部を貯金に回してきたのと同じノリでコツコツと続けるスタイルだ。本書におけるもっとも重要な格言の1つは「時間が私たちに味方する数少ないケースが、投資の世界なのだ」という部分だろう。肌の老化、経年による劣化、マシンの処理速度の鈍化――時間の及ぼす残酷な影響は枚挙にいとまがない。だが投資に関しては私たちに有利に働く。そう、一夜にして労働から解放されたいと願って投機に手を出すよりも、本業を続けながら時間とともに投資による収入が増えるのを待つ。これが筆者の説く世界観である。
「一定のメンタルを維持する能力」こそ重要
筆者が投資をしながらジャーナリストでもあり続ける理由の第二として、本書の後半部分を読みながら私が推測したのはメンタルの問題である。かつて、金融界で成功している知人に投資理論を尋ねてみたことがある。PBR割れを買うとか、IPO投資をするとか、さらにマニアックな方法論があるのだろうと期待していたのだ。だが結果として、ルーティンを崩さないこと、浄財として寄付すること、忙しくても瞑想を欠かさないことなど、マインドセットに関する話を延々と聞くことになった。秘訣を明かしたくないのかという当時の邪推は、本書を読む過程で、いたって誠実に答えてくれたという感謝に変わった。投資すること、特に投資を継続することにおいてもっとも重要なのは、一定のメンタルを維持する能力なのだという。
「まずは積立てで株式投資をはじめましょう。そして株価の下落局面になったら、売却するのではなく、逆に買い増しましょう。安く買って高く売る。これこそが投資の基本です。」
いまどき少しでも勉強していれば、誰でもこれくらいのことは“いえる”。だがそのうち実際に“できる”人はどのくらいいるのだろう。例として、先の実業家の話に戻ろう。8月5日の歴史的な暴落に先立つ2日の金曜日、日本株はいったん急落している。彼の話によれば、いままでの利益分が吹っ飛ぶ事態に直面したものの、下落局面こそが買い時であるという理論に従って追加購入したのだそうだ。だが、損した分を取り戻そうと信用取引に手を出したのが仇となった。土日を挟んで5日のマーケットの歴史的暴落の威力がレバレッジをかけて襲ってきたのだから。そして、信用買いというハイリスク取引に及んだ理由について、彼は「パニックにな」ったと述べている。
この男性が愚かなのだろうか。そうじゃないと私は思う。「億」などという単位で投資したことはない。生活に必要なお金をつぎ込んだこともない。それでも私は赤字に大きく動揺したのだ。心臓がひりつき、心に曇天を抱える――そう、投資はストレスである。正しいスキームを理解し、時間を味方につけて淡々と蓄積していく。それでも晴れの日もあれば雨の日も風の日も、台風が吹き荒れる夜だってある。そういうときにもパニックにならず、平常心でいられることこそが、実は投資を成功させる最大の秘訣ではなかろうか。だからこそ筆者はジャーナリストという職業を続けているのかもしれない。取材をする。分析する。それをまとめて本にする。収入に関して2本の柱を持ち、さらに本業で忙殺されて投資にかける時間をむしろ減らす。そうすれば、資産の増減を日々確認し、見通しの暗さに頭を悩ませ、そうやって市場というコントロールの及びえない猛獣にやきもきして消耗するエネルギーを節約できるに違いない。
「ウシが殺す人間の数はサメの4倍」の意味
さて、自分自身がいかに投資における「敗者」だったのかという事実を本書によってまざまざと突きつけられた。だが読後感は思ったよりもずっといい。確かに、20代からこの方法を継続していれば、私のポートフォリオは見違えるようだっただろう。だが、本書の最後の警句こそが肝要である。本質的なリスクは「サメ」ではなく、「ウシ」にある。市場の暴落や景気後退といったリスクはわかりやすい。そういうサメを見つけたらビーチは直ちに遊泳禁止になるだろう。だが、「ウシが殺す人間の数はサメの4倍である」という意外な事実を筆者は提示する。理由をあれこれ並べて投資をはじめないことのほうが、リスクとしてはより大きいのだ。
投資に関しては、私は自分のお金のみならず、メンタルもすり減らした。だがそれは自らの財布を握りしめて市場の門をくぐったがゆえだ。いまならよくわかる。これ自体が得難い経験だった。よく挑戦した。さあ自信を持って立ち上がり、再び市場の扉を叩こうといま決意を新たにする。