<書評>『アメリカの悪夢』デイヴィッド・フィンケル 著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

アメリカの悪夢

『アメリカの悪夢』

著者
デイヴィッド・フィンケル [著]/古屋 美登里 [訳]
出版社
亜紀書房
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784750518473
発売日
2024/07/20
価格
2,860円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『アメリカの悪夢』デイヴィッド・フィンケル 著

◆葛藤につけ込む政治的憎悪

 原題は『An American Dreamer』。しかし、この「夢」は、アメリカンドリームとは似ても似つかない、ひとりの退役大佐に取り憑(つ)いた悪夢のことである。

 これは、アッパーミドルに位置する、きわめてまっとうで、自分が誠実に生きていると信じている、あるアメリカ人についてのノンフィクションだ。かれは、アメリカの使命を確信してイラク戦争に従軍したが、惨(むご)たらしい戦闘任務において、部下の兵士やイラク人たちの理不尽な犠牲に直面し、自分の任務の意味を見失う。執拗(しつよう)に襲ってくる戦場の悪夢がかれの眠りを妨げる。それでもかれは、イラクからの帰還後も、陸軍士官の教育事業やエルサレムでの現地警察官養成プログラムに携わって、自分の「責任」を果たし続ける。かれの位置はまちがいなくアメリカの支配的な体制や外交政策の一部ではある。だからこそ、そのキャリアのなかで、守るべき信念とそれを裏切る日々との矛盾に向き合わざるをえない。

 とくに重要なことは、こうした葛藤のなかに、また家族を大切にしながら生きるかれの世界に、憎悪に満ちた近年の政治が疫病のように浸透してきていることである。けっして噓(うそ)を言わず、他者に対して誠意をもって応じ、つねに全力を尽くす人間であるからこそ、日常的な人種差別や不気味な内向的感情が社会を腐蝕(ふしょく)していると感じざるをえない。そのたびにかれは、そうした悪意に加担しない態度を貫こうとしては困惑する。

 この本の大きな説得力は、人々の葛藤と希望に寄り添い、その混乱や矛盾を実に丁寧に描く著者の姿勢から来ている。ドナルド・トランプが搔(か)き立てる人種差別感情、弱者に対する嘲(あざけ)りの言葉、そして劣悪な噓とその噓がそれとして認識されなくなってしまう現実。社会のこうした劣化が、正しく生きようとする普通の人々にどのような絶望をもたらしているのか。この一冊は、今年11月に行われる大統領選挙の前にこそぜひ読んでほしい。選挙をめぐる通り一遍の報道に対する見方がきっと一変するはずだ。

(古屋美登里訳、亜紀書房・2860円)

元ワシントン・ポスト紙記者。2006年ピュリッツァー賞受賞。

◆もう1冊

『民主主義のルールと精神』ヤン=ヴェルナー・ミュラー著、山岡由美訳(みすず書房)

中日新聞 東京新聞
2024年10月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク