『スメラミシング』
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人はなぜ「陰謀論」に惹かれるのか コロナ禍の日本社会への深い考察
[レビュアー] 石井千湖(書評家)
小川哲の小説を読むと、自分の生きている世界について、考えることが面白くなる。最新作『スメラミシング』は、神や宗教をテーマにした短編集だ。聖書のギリシア語訳をめぐる歴史SF「七十人の翻訳者たち」、天皇の棺を運ぶ一族の末裔がなんとアマゾンの段ボールを配達する「密林の殯(もがり)」など六編を収める。
表題作は陰謀論小説であり、SNS小説であり、鉄道小説でもある。舞台は新型コロナウイルス感染症が拡大中の日本だ。語り手は二人いる。新宿で行われる大規模なノーマスクデモに向かう〈タキムラ〉と、自分の来し方に思いを馳せながら総武線に乗っている〈僕〉。タキムラはなぜデモに参加することになったのか。鉄道好きの僕は何者なのか。少しずつ明らかになっていく。
ノーマスクデモに集まる人々の中に、〈スメラミシング〉というツイッター(現X)アカウントのフォロワーたちがいる。スメラミシングは支離滅裂なツイートをしている弱小アカウントだったが、その言葉をもっともらしく解釈して拡散する〈バラモン〉の出現によって人々の崇拝の対象になった。〈乗客〉と呼ばれるスメラミシングの崇拝者は、反ワクチンなどの陰謀論の信者でもある。スメラミシングの何が彼らを惹きつけるのか。タキムラの〈私たちは幸福を求めているのではなく、理由を求めている。真実を求めているのではなく、理不尽で暗く、生きる価値のない現実を受け入れるための物語を求めている〉という考察が興味深い。スメラミシングの曖昧な言葉は、どんな物語でも乗せられる列車なのだ。いろんな系統の陰謀論を乗せたスメラミシングが暴走する結末は恐ろしい。
陰謀論をただ愚かで危険な物語として断罪するのではなく、陰謀論を求めずにはいられない人間の核心にあるものを問うところがいい。ブラックなユーモアも効いている。二〇二〇年代の日本社会のある一面を生々しく切り取った作品だ。