史上初の三刀流?! 歌人で詩人で小説家誕生!【新潮新人賞受賞者インタビュー】【第56回新潮新人賞受賞】竹中優子(たけなか・ゆうこ)
インタビュー
史上初の三刀流?! 歌人で詩人で小説家誕生!【新潮新人賞受賞者インタビュー】【第56回新潮新人賞受賞】竹中優子(たけなか・ゆうこ)
[文] 新潮社
創刊120周年を迎えた文芸誌・新潮の新人賞選考会が開催された。2024年で56回目を迎えた同賞は、中村文則さん、田中慎弥さん等の作家を生み出し、後に芥川賞作家となった出身者も多い、いわば純文学の登竜門だ。応募総数2855作品から選ばれたのは2作品。そのうち「ダンス」で受賞した竹中優子さんは、既に短歌と詩で大きな賞を受賞している。前代未聞の三冠となった竹中さんの受賞インタビューをお届けする。
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――この度はご受賞、おめでとうございます。が、実は既に短歌と詩と、両方で大きな賞のご受賞歴があるのですね。普通に応募してきて下さっていて、驚きました!
竹中優子(以下:竹中):はい、2016年に角川短歌賞を「輪をつくる」50首で頂き、その後、2022年に同名の第一歌集で現代短歌新人賞を頂きました。同じ年に現代詩手帖賞を頂戴し、第一詩集の『冬が終わるとき』(2022年、思潮社)は受賞には至りませんでしたが、第28回中原中也賞最終候補に選ばれています。
――そして今年、新潮新人賞を受賞ということで、いわば三冠達成です。
竹中:それぞれで、有難いことに著名な賞を頂いていますが、まだまだ修業中の身なので、依頼をいただいた原稿や自発的な作品作りに日々取り組んでいます。型にはまらず自由に何にでも挑戦しようというのは心がけています。
――受賞作「ダンス」は、「今日こそ三人まとめて往復ビンタをしてやろうと堅く心に決めて会社に行った」という、印象的な書き出しで始まります。
新卒で入った会社に勤めて二年になる主人公は、同僚が三人まとめて休む事態が続き、そのしわ寄せに辟易しつつも、三人のうちの一人で、一回り年の離れた先輩の下村さんのことを心配しています。しかし、三人の欠勤理由が職場の三角関係で、下村さんと結婚を約束していた彼氏も、その浮気相手も主人公の目の前に座っているという状況です。
書きようによっては悲惨な状況にもかかわらず、下村さんや主人公のキャラクターも相まって、最後までユーモラスなトーンなのが印象的でした。
この物語を書こうと思われたきっかけは何だったのでしょう。
竹中:小説の最後のあたりで「それで、どうだった。あなたの三十代は?」と主人公が下村さんに問われます。「三十代は人を別人にするからね」と。
すると咄嗟に「なんか、普通の人が高校生ぐらいで経験することを味わわせてもらったかもしれません」と返す。「へえ。いい三十代だったんだね」と下村さんに言われるのですが、これは実は私と友人との実際の会話で、主人公の返した言葉は、私が自然と口にしたものでした。でも、自分で口にしてビックリしてしまった。
それまで、自分の三十代を自分が肯定的に捉えていると思ったことなどありませんでした。私は、現実の職場等では、四十歳近くになって、独身で歌や詩をやる人間など他にはいなくて、異色の存在です。もちろん、一方では文芸活動を通じた友人関係も今でこそありますが、普通に生活している分には、自分は浮いた存在だという自覚がありました。だからこそ、自分が自分の三十代を肯定的に捉えていたことに驚いたんです。
下村さんの言葉も、その際に友人が口にしたもので、その会話をもとに、三十枚ぐらいの短篇を書いて、それを膨らませていきました。
――作中で、下村さん以外は、元彼は「かまぼこ1」、浮気相手は「かまぼこ2」、係長は似ているから「山羊」と呼ばれているのも面白かったです。言い辛いかもしれませんが(笑)、モデルはいるのでしょうか?
竹中:特定の人物をモデルにしたということはなくて、いろんな人から聞いた様々なエピソードを元にしています。でも、この主人公は近しい人の名前しか覚えない、ひどいですよね(笑)。徹底して見ている人でもある主人公は、自分に似ているのかもしれません。これまでに書いた作品でも、主人公が見ているだけだという点については、文芸仲間からも指摘されることが多かったです。
――創作については、最初は短歌から始められたのでしょうか?
竹中:高校生ぐらいから小説家になりたいという漠然とした憧れはありました。それで実作の授業がある早稲田大学文学部に進んだのですが、まったく書けなかったんです。小説を仕上げることができなくて、それで大学三年生からはダブルスクールで映画学校に通いました。そこで脚本・監督を務めた作品「鳩と小石」という、15分ほどのショートフィルムを撮りました。ただ、講師の先生方を困惑させる内容だったんです。女子高生が好きな人にむかって、小石を道に並べていく話で(笑)。竹中直人がつげ義春の「無能の人」を映画化した作品が好きで、それに影響を受けていましたね。
その後、東京で就職したんですが、二年ほどで、これは無理だと挫折して……福岡に職を得てからは、映画制作の人脈も途切れてしまい、仕事も忙しかったため、創作からは離れていました。それどころか普通の友達すら、なかなかできませんでした。学生時代は東京だったし、福岡には知り合いもそんなにいなかったんです。仕事は激務でしたし、相変わらず小説も書けなくて……でも、ある日、短歌なら短いから、通勤時間でも詠めることに気付いて、始めたのが大体十年少しぐらい前のことでしょうか。最初は趣味でしたが、三十歳頃になって、本気でやろうと思って真剣に取り組み始め、そこから三年ぐらいで、短歌で新人賞を頂きました。やがて詩の投稿も始めて、そこからまた小説に取り組むようになったんです。
――今度は小説を仕上げることができたんですね。
竹中:不思議なもので、自分はなぜ小説が書けないのかが分析できるようになったんです。そうやって試行錯誤しながら、最初はまず百枚を目標に小説を書き続けて、詩や短歌で知り合った人たちにも読んでもらったり、小説の書き方講座にも通ったりして、何とか書ききることができるようになりました。これまでに十作品ぐらいは書いたでしょうか。
自分は何が得意なのかが分かったのも短歌のおかげです。具体物をどう出して場面を切り取るといいのか、何を書いて何を省略すると広がりが出るか、取捨選択するようなことが短歌では大切で、自分も鍛えられています。例えば同じシーンでも、とんかつを食べることにするかプリンを食べることにするかで印象が全く変わる、そういう細かいところを詰めるのが好きなんです。小説を書く場合も、そういう短歌的な技術を取り込んだ話を書こうと初めから考え、今回のプロットも作りました。時間を飛ばすこと、省略を効かせた話にすることを意図しています。
――受賞の連絡が入った時は、どんなお気持ちでしたか?
竹中:とれると思ってなかったので、びっくりしました。もちろん嬉しかったです。小説の新人賞に応募するようになってから四年ほどがたちますが、新潮だけは初めから一次は通過していたんです。他にも幾つかの賞に応募していましたが、なかなか残らなくて、これは相性がいいのかなと思って、今回も一番できがいいかなと思った作品を送りました。
家族や、短歌の師匠にも伝えましたが、喜んでくれました。ただ、家族はみんな体育会系、集まるといつも筋肉の話ばかりしている一族なので、これからも私の作品を読むことはないんじゃないかな(笑)。
――これまでの読書遍歴をお聞かせください。
竹中:現代の作家では、小川洋子さんと桐野夏生さんが好きです。真逆に思われるかもしれませんが、このお二人を兼ね備えた書き手になりたいと、恐れ多くも思っています(笑)。あと、長嶋有さんの日常を淡々と描く作品も好きですし、石牟礼道子さんも、地方文芸の場で活動を貫徹なさった点では、見習いたい存在ですし、聞き書きの手法をとられているところにも、惹かれます。
私自身、文芸仲間からは、もっと自分を出さなきゃだめだと言われたりするのですが、根本的な性格として、自分は己を語る人ではなく、「見ている人」なのだと思います。それでものを書いたりしているところがありますので、聞き書きという手法には大変興味があります。
ただ、中学生ぐらいまでは漫画が中心で、「りぼんを卒業しない女」でした(笑)。「ママレード・ボーイ」や「姫ちゃんのリボン」とか、「こどものおもちゃ」とか。漫画は自分でも描いていましたが、これもまた、なかなか仕上げられなくて。今思えば、仕上がらなくてよかったのかもしれませんが。
――今後はどんな作品を書いてみたいですか?
竹中:登場人物について、この人、生きてるなと思うような、人間が書きたいですね。また、自分の書ける範囲がありますから、今はまだ、どうしても働く女性の話が中心ではありますが、二つぐらい、これを煮詰めたいなと思っている題材はあります。どちらかといえば量産型で、量を書くのは平気なんですが、煮詰めていくのが、なかなか一人では難しい。でも、新人賞をとったからといって、すぐに原稿依頼がどんどん来るような、そんな甘い世界ではないでしょうから、これから粘っていかなければならない、地に足をつけていかなくては、と思っています。
(了)
竹中優子(たけなか・ゆうこ)
1982年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。2016年「輪をつくる」50首で第62回角川短歌賞、第1歌集「輪をつくる」で2022年第23回現代短歌新人賞受賞。同年、第60回現代詩手帖賞を受賞。第1詩集「冬が終わるとき」で第28回中原中也賞最終候補。