東京生まれ、香港、上海、ロンドン育ち。「日本語は外国語」の東大大学院生が、奄美大島を舞台に小説を描いた理由【第56回新潮新人賞受賞者インタビュー・仁科斂(にしな・れん)】
インタビュー
東京生まれ、香港、上海、ロンドン育ち。「日本語は外国語」の東大大学院生が、奄美大島を舞台に小説を描いた理由【第56回新潮新人賞受賞者インタビュー・仁科斂(にしな・れん)】
[文] 新潮社
創刊120周年を迎えた文芸誌・新潮の新人賞選考会が開催された。2024年で56回目を迎えた同賞は、中村文則さん、田中慎弥さん等の作家を生み出し、後に芥川賞作家となった出身者も多い、いわば純文学の登竜門だ。応募総数2855作品から選ばれたのは2作品。そのうち「さびしさは一個の廃墟」で受賞した仁科斂さんは、オックスフォード大学を卒業後、現在東大大学院に在籍している。その仁科さんの受賞インタビューをお届けする。
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――受賞作「さびしさは一個の廃墟」は、奄美大島のむせかえるような自然の中で、東京から来た建築家志望の若者が中国人の集団と領土をめぐる諍いに巻き込まれていく物語です。このユニークな設定は、どこから生まれたのでしょうか?
仁科斂(以下:仁科):まず奄美という場所があって、そこにふさわしい物語を、という順番で考えていきました。小説を書く以上は、中上健次を目指さないといけない、という気持はあります。「岬」は僕が日本語で読んだほぼ初めての小説ですが、あのときの高揚は僕にとって決定的でした。けれど、あれほどの「風景」は自分のどこを探してもない。だったらお借りするしかないので、僕がこれまでの人生で訪れた場所の中で、もっとも強烈な印象を受けた奄美に身を置くことにしました。同時に、この小説を書きだした頃、村上龍の『悲しき熱帯』を読んでいて、もしや南なら「路地」に比肩する風景があるかもしれない、と少々安易に思い込んだようです。
――奄美の方言を多用した、独特な日本語が魅力的です。島言葉はどうやって覚えたのですか?
仁科:もともと島唄が好きで、7~8年ほど聴いているでしょうか。クロスオーバーの元ちとせさんや中孝介さんの声に最初惹かれ、彼らの歌う島唄から、順当に島唄そのものへ。初めて武下和平さんの歌を聞いたときはそれこそ「岬」レベルの衝撃でした。そうして言葉も少しずつ入ってきました。観光に行ってみたのも、島唄がどんな土地から生まれるのか知りたかったからです。だからこれは島唄から出発した小説だと言っていいかもしれません。
――ペンネームが仁科斂(れん)で、主人公の名前もレン。重ねて読む人も当然多いでしょうし、大胆な設定ですね。
仁科:僕はアカデミズムの世界で論文を発表する際にも、本名とは異なる“ニシナレン”という筆名を使っていました。在籍している東京大学の院でも“レンくん”と呼ばれていて、オルター・エゴというのか、虚構における現実、現実における虚構、僕にとっては大事な名前です。それに作品内の主人公を託したのだと思います。
――タイトルは島尾敏雄のエッセイからの引用とのことですが、島尾作品からの影響はありますか?
仁科:「出孤島記」や『贋学生』は非常に重視していますし、作品に深くまで反映しているはずです。僕は最初、中上の「路地」のように、それこそむせかえるほどの自然や物語を孕む場所を求めていたのでしたが、途中から、開き直ってというか、かえって「風景」とも呼べないような切り詰められたさびしさを描いてみようと思いました。島尾敏雄の作品世界に触れていなければ、そんな発想は浮かばなかったと思います。
――部屋から海まで正確に「345歩」と数えるような、身体感覚に根差した「色気」のある文体が高く評価されて、受賞の決め手となりました。自分の文章の特徴をどう考えておられますか?
仁科:古井由吉が、小説の文章は音韻のリズムと言葉の意味、ないし論理が合致した時に生まれる、と話しています。僕もそのルールを守るよう自らに課していて、あるイメージを伝えるのに、まずふさわしい文章のリズムやテンポを決め、次いで論理とすり寄せていっている気がします。日本語は僕にとって言葉である以前にほとんどひとつの強烈な韻律なのでしょう。
――「廃墟」をモチーフとして選ばれた理由は?
仁科:母方の実家は宮城県で解体業をやっていて、とくに東日本大震災後は、被災建造物なども見ることがありました。建築について正式に学んだことはありませんが、家業の関連資格を取っていて、そこでレンと属性が重なります。
震災後の東北を見ていると、一概には言えないとしても、土地と構造物、そこに暮らす人間との間の、有機的な繋がりが少ない場所になってしまった、という印象を受けます。その場所、いや地点に人が仮寓しているだけで、その意味では都市と変わりがない。都市を「廃墟」と呼ぶ言説は昔からあります。それでいえば、被災地も、ぴかぴかの新しい魚市場ができても、最初から「廃墟」のようです。でも僕はそのことを否定的にだけ捉えているわけではありません。むしろ、人と地球の関係はそこに「住まっている」と感じられる方が特異で、拒絶されていると感じる方が自然なのではないかとも思うんです。
奄美は、その意味でなにか人間に対する徹底的な拒絶があると感じています。それを今回僕は島尾に倣って、さびしさ、と呼びました。
――ところで、仁科さんはどちらのお生まれですか?
仁科:東京です。幼稚園までは日本にいて、父親の仕事の都合で小学校からは香港と上海。4年生のとき一度、日本に帰ってきて、2年半ほど日本のインターナショナルスクールに通っていました。あとは大学の学部を卒業するまでイギリスです。
ただ、震災を機にでしたが、大学に入る前後から日本への関心が芽生え、学部のときも1年半くらい東大に来ていました。とても楽しかったんですけど、クラスメイトも先生たちも、まあお客様扱いでしたね。英語の小説はそこそこ読んでいましたし、高校の校内小説コンクールで受賞したりもしていましたけど、それまで日本文学にはほとんど接してきませんでした。とりあえず日本語の勉強のためにと、書店に行き、当時はやっていた小説や、折口信夫を手にとって読んでいました。
――いきなり折口というのもハードですね(笑)。
仁科:いや、当初はまったく読めていませんでした。どちらかというと目で言葉のリズムを流していた感じです。でも、だんだん意味が解ってくるにつれ、折口の、日本のある土地のローカルな風習や方言のような具体的な事例から普遍的な観念を導き、西洋の哲学を逆照射できるような抽象性にまで至る思考回路に強い刺激を受けました。いつか折口のテクストを英訳して、海外に紹介したいという気持もあります。
――小説内でも、英語と中国語に島言葉や標準的な日本語が混ざる多言語状態が自然に展開されています。ご自身では、何語が得意ですか?
仁科:とっさには英語が一番自然で、日本語は、最初に言語というものを覚えたのが日本語だった、という意味では母語ですが、客観的にいって外国語です。中国語は子供の頃に話していただけですから自由に使いこなすことはできません。小説内の中国語の台詞は、友達にチェックしてもらいました。
――そんな経歴を持ちながら、不思議なことに仁科さんには、さまざまな国や言語を転々としたことによるトラウマのようなものは感じません。
仁科:そうですね。だからでしょうか、留学で傷ついた夏目漱石よりも、森鴎外に親近感を覚えます。僕からしたら、文化とは単にルールの体系ですから、言葉を覚えるのと一緒で、自分なりのルールを作り、周囲に合わせてあまり苦もなく擬態できてしまうのかもしれません。今自分でも驚くのは、最初にイギリスに渡った時は、標準的なアメリカ英語の発音だったのに、ものの半年で完全なクイーンズ・イングリッシュ(今なおクイーンですね)を喋るようになっていました。今は逆に、アメリカ英語の方をすっかり忘れてしまっています。他の言葉もそうです。発音だけ無駄にきれいなので、中国語などネイティブに思われてばーっと話されて困ることがあります。
もしかすると、過去の記憶や痕跡を消してしまう能力があるのかもしれません。デリダ派の人たちはそんなこと認めないでしょうけど。もし、先験的な輸入性こそが日本文化の特徴ならば、逆にそのことが、日本への回路たりえるんではないかと、ポジティブに捉えています。
――研究について簡単に聞かせてください。
仁科:専門は折口とハンナ・アーレントです。現代思想においては、フーコー、ドゥルーズ、デリダに代表されるフランスのポスト構造主義が哲学の最先端で、これ自体は否定できません。「哲学」に話を限るのであれば。アーレントはそれに対して、哲学があくまで人間の営みの一部に過ぎないこと、しかもそれが歴史的に、「政治」への嫌悪から発していることを主張しています。よって哲学の内側から政治を考え直すことはできません。哲学の内から生みだされた政治の、今日における代表例がアイデンティティ・ポリティクスです。みずからの主観的カテゴリーの尊重を最終審級としてしまったとき、複数性・公共性としての政治の次元はもはや存在しません。
折口に関しては、アーレントは人間の世界はギリシャ・ローマにおいて始まったと思っているきらいがあるので、それ以前を考えるための手がかりにしています。
――では現代の小説家では、誰を尊敬していますか?
仁科:川上弘美さんの完璧なまでの日本語の美しさや、松浦理英子さんの、マジョリティによって意味が規定されている言葉を、小説を通じて作り変えていく方法(ただ無批判にアイデンティティの言葉に固執することの逆)、それから笙野頼子さんの、自己の幻想を小説として徹底的に突き詰めることで普遍性をもたせてしまう手法も、常に参考にしています。
――次の小説の構想はありますか?
仁科:僕は今のところ、誰かと結婚することに関心はないものの、血の繋がった子供は欲しい。血縁への固執は前時代的かもしれませんが、ひとりで子育てをしていく覚悟はある。何を身勝手な、と批判を受けそうな言い分で、自ら子供を産む女性の側ならともかく、男性側が口に出せないような望みでしょう。でも、僕と似た欲望を抱いている男性は多いのではないでしょうか。「出生」は、アーレントによれば政治の根本原理です。次作では、そのことを小説の形で考えてみたいです。
(了)
仁科斂(にしな・れん)
1994年8月25日、東京都生まれ。オックスフォード大学PPEコース卒業。現在、東京大学大学院総合文化研究科に在籍。