『佐藤一斎とその時代』
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『佐藤一斎とその時代』中村安宏著
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
徳川政権が昌平坂学問所を直営の教育機関と位置づけ、朱子学を標準とする儒学をそこで教えるように指示したのは、十八世紀末のことである。だが当時はすでに、朱子学を批判する儒学の流派も盛んになり、国学や洋学も成長しつつあった。佐藤一斎は、そうした諸学の対抗と折衷の時代を生き、学問所を支えた高名な儒者である。
著者、中村安宏は、草稿を綿密に読み解き、議論の変化の跡を詳しく追うことで、一斎の思想の特徴を明確に描きだしている。朱子学は、人は誰でも「万物一体の仁」を心に備えており、普遍的な「道」を知って実践できるという普遍主義・平等主義の要素を元来持っていた。一斎は陽明学を援用することを通じて、その側面を大きく発展させる。
その説くところによれば、身分や文化圏の違いをこえて、世界の人類はみな、他者に対する「公平之心」を発揮し、共存するための「道」を発見できる。近代西洋の人権思想や自然法の概念を受容する地盤は、「開国」以前の日本にできつつあった。そのことが、一斎の言葉の背後から浮かびあがってくる。(ぺりかん社、6930円)