『サンスクリット入門』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
『サンスクリット入門 インドの思想を育んだ「完全な言語」』赤松明彦著
[レビュアー] 岡本隆司(歴史学者・早稲田大教授)
仏教読み解く豊潤な言葉
およそ東アジア漢語圏の文化をみるには、サンスクリットが欠かせない。インド思想とりわけ仏教が、各地の土俗を制し深く日常に食い込んだからである。日本も例に漏れず、しかもそのサンスクリット・仏教語は和漢で擬装しているので、通常その存在を誰も意識しない。不肖の東洋史家は日中の歴史をなりわいにするくせに、そんな初歩も知らずにきた。もう遅い。まさか今からサンスクリットを学習……と逡巡(しゅんじゅん)を続けて数年、この新刊にめぐりあった。専門書ないし語学書ならともかく、サンスクリットを外国語として学習させる一般書は、管見では寡聞にして知らない。
かたや仏典や説話にかかわるサンスクリットの啓蒙(けいもう)書は少なくない。必要も関心もあって、類書を読み漁(あさ)ってもきた。菲(ひ)才(さい)には知らないことばかりで、いつも満腹……のはずながら、食い足りない気分がいつも残った。
そこに語学教本の本書の襲来である。恐る恐る手にとって、ページを繰りはじめた。
全部で50のレッスン、見慣れぬ文字・語彙(ごい)に拒絶反応、品詞や活用・語形変化にもついていけない。それでも放擲(ほうてき)せずに最後まで。
どんどん引き込まれたのは、例文とその説明の魅力による。発音変化と「仏陀」「菩(ぼ)提(だい)」、主格と「梵(ぼん)我(が)一(いち)如(にょ)」、女性名詞と「弁才天」、指示代名詞と「輪(りん)廻(ね)転生」。漢語でおなじみの術語を並べてみた。これだけでも興味津々、実物はもっと豊(ほう)饒(じょう)である。
目の覚める感触を得たのは、オリジナルな語法・文法・文章に即してインド思想を解する経験が、およそ稀(き)薄(はく)だったからである。やはり人文学は原典にもどらねばならない。
言語としてサンスクリットを学ぶ書物である。しかしそれだけではない。歴史や思想に関心があれば、とても勉強になる。何より愉(たの)しい。
第50課「日本語の中のサンスクリット」はその手引。ここを読んで感興が湧かなかったら、残念ながら「縁なき衆生」というほかあるまい。(中公新書、1430円)