『多頭獣の話』
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<書評>『多頭獣の話』上田岳弘(たかひろ)著
[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)
◆情報に覆われた社会の内実
さまざまな種類のSNS(ネット交流サービス)が世界中を覆っている。それは私たちへの影響力を日増しに強めているのではないか。政治や経済から文化や生活まで、隠然たる力を発揮し始めているようにうかがえる。
動画投稿サイトのユーチューブも力を持っているSNSの一つだろう。この長編小説はかつて人気ユーチューバーとして絶大な影響力を持った人物たちのその後を追う形で物語が展開する。
主人公の「僕」はIT会社でシステムエンジニアをしている。会社の元後輩が2020年代にユーチューバーとして大成功した。未来を展望し、人類の危機を回避するという主張が多くの視聴者に受け入れられたらしい。
他のユーチューバーたちともコラボし、一派の登録者数は4千万人を数えるまでになった。ものすごい数字だ。ところが突然に発信をやめてしまった。それまでの動画をすべて削除し、ネット上から姿を消してしまう。小説の現在は、その5年後になる。
なぜか、消えたはずのユーチューバーたちが主人公にのみ動画を送りつけてくる。そして、「僕」は不思議な謎解きゲームへの参加を余儀なくされていく。
かつてのユーチューバーたちの目的が読めない。だけど、気にかかる。「僕」が巻き込まれたのは目指す場所を持たない探偵の仕事のようでもあり、夢だと疑いながら見る夢の中をさまようような行為だった。
登場人物たちは手探りで会話を重ね、芝居がかった声としぐさでコミュニケーションを試みる。台本のない演劇を続けている感じ。この霧の中を少しずつ歩むような展開にひかれる。現代の日本を生きる感触に思えてくるのだ。
物語が進む中で、能率を追求することは人間に何を及ぼすか、人々の欲望が果たす役割とは何なのか、一体、この世界は生きるに値するのかといった哲学的な問いをめぐって思弁が繰り広げられる。
現代の情報のやりとりを見据えて、社会の内実を果敢に問いかけた小説だ。その文学的挑戦が楽しめた。
(講談社・2420円)
1979年生まれ。作家。『ニムロッド』で芥川賞。著書『旅のない』など。
◆もう1冊
『最愛の』上田岳弘著(集英社)。恋愛小説の可能性を問う長編小説。島清恋愛文学賞受賞作。