星野監督は「グッとこらえて我慢した」 コーチを叱って選手にご褒美…楽天・日本一の裏側を“弱小校出身”元プロが語る

インタビュー

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弱小チーム出身の僕がプロ野球で活躍できた理由

『弱小チーム出身の僕がプロ野球で活躍できた理由』

著者
聖澤諒 [著]
出版社
辰巳出版
ISBN
9784777831593
発売日
2024/09/11
価格
1,870円(税込)

星野監督は「グッとこらえて我慢した」 コーチを叱って選手にご褒美…楽天・日本一の裏側を“弱小校出身”元プロが語る

[文] 辰巳出版


聖澤諒さん

中学時代は公式戦0勝、高校時代は同級生が2人だけの弱小校。そんな経歴にもかかわらず、プロ野球選手として活躍した元東北楽天ゴールデンイーグルスの聖澤諒さん。

9月11日に初めての著書となる『弱小チーム出身の僕がプロ野球で活躍できた理由』(辰巳出版)を出版しました。そのなかでは、野村監督や星野監督や野村監督、田中将大投手と のエピソードや球団初の日本一など、現役時代の話も多く語られています。

そんな聖澤さんに現役時代のお話をさらに深掘りして聞いてみました。

ラフな会話で選手たちと接してくれた星野監督

――書籍では2013年、球団初の日本一についても書かれていますが、そのときの監督は星野仙一氏でした。どのような印象を受けましたか?

僕も最初は世間一般で言われている「怖い」イメージを持っていたのですが、実際はそんなことはありませんでした。試合中にミスがあったり、点数取られたあとでも、グッとこらえて我慢してるように見えましたね。時代に合わせて星野監督も変化していったのだと思います。
ただ何年か経って、そのときのコーチに会ってわかったことなのですが、試合後のコーチミーティングでは、星野監督からかなり怒られていたみたいです(笑)。たとえば選手の打撃が悪いときはバッティングコーチが代表して怒られる…みたいな。選手直接ではなく、ひとつクッションを置いて、選手たちにはやりやすい環境をつくってくれていたのだと思います。

――闘将というイメージとは少し違っていたんですね。

星野監督は試合が始まればグッと気持ちが入っている雰囲気でしたけど、練習中や移動のときは「昨日、何食べたんだ?」とか、そんなラフな会話で選手たちと接してくれました。そのあたりは当初のイメージとは違ったなって思いましたね。
ちなみに、活躍できた2011年(52盗塁)、2012年(54盗塁で盗塁王・得点圏打率12球団1位)のときはご褒美として時計をいただいたのを覚えています。

――日本一になったシーズンですが、いつ頃からリーグ優勝を意識したのでしょうか?

ラスト1カ月くらいだったと思います。最終的には7ゲームくらいの差がつきましたけど、選手たちはそれを安全圏だとは感じていなかったですね。やっぱり追われるつらさっていうか、いつか自分たちが連敗したときに向こうが連勝してひっくり返されるんじゃなかという不安がありました。
首位になってもチーム内に楽観ムードはなくて、常に気を引き締めているような雰囲気があったと思います。目の前の一戦一戦をチャレンジャーとして臨んでいたのを覚えていますね。

――そのシーズンは3番を打つことが多かったですよね。

それまでは1番を打つことが多かったのですが、星野監督からは「お前のいままでのプレーを見てきて、それを3番っていうピースにはめるだけだから“3番”のバッティングをするとか、振り回していくようなことはしなくていい」と言われました。打順が変わることで、自分を失わないでくれという話はされましたね。

――田中将大さんの伝説の24勝0敗もありました。

田中の存在は、チームにとって大きな支えでした。チームの調子が悪いときでも、田中なら悪い流れを切ってくれるっていう安心感はいい意味で選手たちの精神的負担を軽減させてくれたと思います。 もちろん、田中で負けそうなときもありましたが、そのときは野手が奮起して勝ちにつなげたのも印象に残っています。あとマギーやDジョーンズといった外国人選手が打ってくれたのも大きかったですね。


聖澤諒さん

現役時代のライバル

――現役時代のライバルといったら誰になりますか?

ライバルというか意識してたのは、ソフトバンクの本多さんですね。現役時代に一番欲しいタイトルが盗塁王だったので。僕は2011年に52盗塁を達成したのですが、本多さんはさらにその上の60盗塁でタイトルを獲得しました。本多さんを抜かないとタイトルが取れない状況だったので、やっぱり意識していました。でも、ライバルというよりは憧れの選手ですね。ライバルというのはおこがましいです。2012年に54盗塁で盗塁王のタイトルを獲得できたときは本当にうれしかったですね。

――今回、その盗塁に関してかなり細かく書かれていた印象があります。

ピッチャーの癖を見抜くためにビデオを繰り返し見て研究したことなどを書かせていただきました。本にも書きましたが、癖を見抜けなかった、盗塁が難しかったピッチャーは久保康友さん(元ロッテ、阪神など)、内海哲也さん(元巨人、西武)、あと大谷翔平投手(ロサンゼルス・ドジャース)です。
大谷選手についても徹底的に研究したのですが、クイックが速くて細かな動きも速い。正直、癖を見つけることができませんでした。体の大きさに似つかわしくない俊敏さを持っていて、当時から「大谷って化け物やな」って思っていました。今シーズンは打撃で大活躍しましたが、投手としても一流でしたね。

盗塁は走る前の準備で決まる

――ピッチャーの癖以外に研究していたことはありますか?

じつはピッチャーだけではなく、キャッチャーの癖もかなり重要なんですよね。たとえば低めのフォークボールなどの決め球のときには、いつもと仕草が違うとか。この仕草はカーブとかスライダーが多いなとか。叩きつける系の球でワンバウンドすれば、遅いスタートを切っても走れますからね。キャッチャーの癖に加えて、やっぱりショート、セカンドについてもどういう動きをするのかというのも頭に入れていました。

――内野手の全員を見てるってことですか?

投手、捕手、内野手の動きや癖を把握して、盗塁できるタイミングが見つけていきます。自分は極端に足が速いわけではないので、そういう“走る以外の要素”をフル活用していました。不安なくスタートを切れるような材料を常に探していましたね。

自分は盗塁のスタートが「1」だとしたら「1」までに至る「0」という準備段階を大事にしてきました。キャッチャーの肩が弱いとか、ピッチャーのクイックが遅いとか、セーフになる材料を集めていくことで、良い「1」(スタート)ができると思ってます。
本にもたびたび書いていますが、技術は二の次なんです。まず「考え方」があって、「技術」が活きるっていうことですね。

小さいときから考えてプレーするのが好きでしたが、大学時代の恩師・竹田利秋監督、プロ1年目の野村克也監督から指導を受けて、その「考える意識」がさらに洗練されていったと感じています。
“常に考えて、質の高い行動を起こす”これは野球だけではなく、すべてのことで大事だと思っています。

聖澤諒(ひじりさわ・りょう)
1985年11月3日生まれ。長野県出身。長野県立松代高校、國學院大學を経て2007年に大学・社会人ドラフト4位指名で東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。背番号は「23」。入団後は足のスペシャリストとして活躍し、2012年に54盗塁で盗塁王のタイトルと12球団トップの得点圏打率を記録。2013年の球団初のリーグ優勝、日本一ではチームの中軸として大きく貢献した。守備の巧さに定評があり、2014年に連続守備機会無失策のNPB新記録を樹立。2018年まで11年間プレーし、現役引退後は球団が運営する「楽天イーグルスアカデミー」のコーチに就任した。180cm 80kg。右投左打。

辰巳出版
2024年10月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

辰巳出版

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