『アテンション・エコノミーのジレンマ 〈関心〉を奪い合う世界に未来はあるか』
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『アテンション・エコノミーのジレンマ 〈関心〉を奪い合う世界に未来はあるか』山本龍彦著
[レビュアー] 櫻川昌哉(経済学者・慶応大教授)
情報の信頼性取り戻す
本書は、SNSやインターネットに支配される情報空間の危うさを浮き彫りにし、様々な専門家との対談から問題点を掘り下げていく刺激的な一冊である。
「アテンション」とは、関心や注目のことで、我々の日々の生活や仕事は、何かに関心を持つところから始まる。すると、この関心をどのように配分していくかが思考パターン、情報収集、仕事の進め方に影響を与えることがわかる。「アテンション・エコノミー」とは、注意に喚起された経済といったところであろうか。
ここからが本題である。仮に、YouTubeやFacebookなどのプラットフォーム企業が、我々の日々の関心を意図的に歪(ゆが)めているとしたらどうであろう。彼らは、閲覧数を稼ぐために人々の注目を巧妙に喚起し、人々のむき出しの欲望をもてあそびつつ、自らに都合の良い情報を氾濫させる。そこには情報の質を高めようとする公共心やモラルはかけらもない。
著者は、彼らに情報空間が完全に支配されると、情報の質は劣化し、はては民主主義を崩壊させかねないと警鐘を鳴らす。かといって、憲法学者である著者は、何らかの規制が必要であるとしつつ、表現の自由を安易に規制する方向に向かうのも望ましくないと説く。
経済学の立場から整理してみよう。市場に質の劣った財(この場合、情報)と質の優れた財が混在しているとき、質の劣った財が猛威をふるう「逆淘(とう)汰(た)」がしばしば生じる。健全な情報空間を取り戻すためには、何らかの格付けやナビゲーションの仕組みを導入して、情報の信頼性と安全性を確保することである。情報の発信者が自らの経歴や履歴を公表する流れを作って、人々のインセンティブと両立させるのが望ましい。それは同時に、匿名の表現の自由を抑制する方向をも含むことになるかもしれない。民主主義とはそもそも、自らの意見に責任を持つことを前提としていることも事実である。(KADOKAWA、2970円)