『吾妻鏡ー鎌倉幕府「正史」の虚実』
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<書評>『吾妻鏡 鎌倉幕府「正史」の虚実』藪本勝治(やぶもと・かつはる) 著
[レビュアー] 大塚ひかり(古典エッセイスト)
◆敗者の視点もにじむ物語性
「日本書紀などの歴史書はほんの一面的な記録にすぎない。物語にこそ道理に叶(かな)った詳しいことが書かれているのでしょう」。『源氏物語』で展開される名高い物語論である。それから約300年後に編纂(へんさん)された『吾妻鏡』を読むたび、この一節が思い起こされる。
正史の体裁をとった同書は、鎌倉時代を研究する際の根本史料として重視されている。しかし、編纂時の権力者である北条得宗家(北条氏の嫡流)に不都合なことは記されず(省筆)、史実が曲げられていることはつとに知られている。2代将軍頼家は暗愚、3代将軍実朝は文弱といったイメージの形成が代表例だ。同書が伝える歴史は、まさに一面に過ぎないわけである。
本書はそうした先行研究を踏まえつつ、「北条貞時による得宗政権がいかに正統なものであるか、いかに絶対的なものであるかを、歴史的に裏付けるための過去像を創出した物語」が『吾妻鏡』であると指摘。頼朝挙兵や承久の乱といった幕府の歴史の中でターニングポイントとなった武力衝突の記述を丁寧に検証し、「物語」の背後に隠された「意図」を洗い出していく。
興味深いのは、『吾妻鏡』の物語性ゆえに、「敗者の視界が時折顔を出すことがある。それは構想のほころびであると同時に、この書の大きな魅力にもなっている」という著者の主張だ。
虚構が多く物語性に富んだ前半に対し、後半は「存命の直接体験者に配慮が必要な時代となってくる」がゆえに、省筆によって読者の理解を操作する。結果、無味乾燥な叙述となったという指摘も示唆に富む。
浮き彫りになるのは、事実を並べたように見えても、その取捨選択自体に意図の混じる、歴史叙述の困難さ、正史の限界だ。『吾妻鏡』のスタンスが「現在を肯定するために過去を利己的に語り直したがる我々の今も変わらぬ営みを、未来永劫(えいごう)逆照射し続けている」という著者の視線は、現在進行中のあらゆる紛争や自分語りに当てはまり、歴史と物語の境目について考えずにいられない。
(中公新書・1100円)
1983年生まれ。灘中学校・高等学校教諭。専門は日本中世文学。
◆もう1冊
『現代語訳 吾妻鏡』全16巻、別巻1、五味文彦・本郷和人・西田友広ほか編(吉川弘文館)