『ナチュラルボーンチキン』
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<書評>『ナチュラルボーンチキン』金原ひとみ 著
[レビュアー] 横尾和博(文芸評論家)
◆自分も他者も肯定する生き方
生きることの意味を見出(みいだ)せない存在の稀薄(きはく)な時代である。著者はこれまでも肉体と精神の痛み、自傷と希死念慮、過剰を描きだしてきた。2003年のデビュー以来、常に若い世代の「いま」を描き、エネルギッシュな創作を続けてきた。
本書の主人公は浜野文乃(あやの)という45歳の独身女性。大手出版社の労務課に勤務し、会社と家の決まった手順で生活を送る。三度の食事も毎日同じメニューで恋人、友人、仲のよい家族もなく孤独だ。しかし本人は充足し生活リズムを崩さない。慎(つつ)ましく目立つのが嫌いである。ある日彼女は会社に出勤しない文芸編集部の平木直理(なおり)の様子を見に行く。平木は20代の女性で変わり者の多い編集者の中でもさらに際立つ存在だ。スケートボード、短パン姿で出勤し、在宅ワークの日も多く、ホストクラブに通い陽気に生活を謳歌(おうか)する。文乃は自分とあまりにも違い過ぎる平木に戸惑うが、ひとりで生きていくとの決意が徐々に変化し、音楽バンドの男と付き合うことで、封印を解いていく。
冒頭で文乃はルーチン生活について「私は過剰が苦手だ」「簡潔であることはすばらしい」と断定的に自己を語る。頑(かたく)なな自分の生活態度を強調する姿から、ドストエフスキー『地下室の手記』の主人公を思い出した。自意識に凝り固まり偏屈な引きこもりの四十男。一時期若い娼婦と心を通わせたが、自意識が邪魔して冷淡に振る舞う話だ。
近代以降、私たちは地下室の男のように他者との関係や自我に苛(さいな)まれてきた。だがいまは理性や哲学が欠けた軽薄短小な文化が席捲(せっけん)する。自分を見失い、他者との関係も結べない時代である。ゆえに他者と対話を重ねて自己を見つめ、この世のすべてを肯定する思考が必要だ。
弱い心は恥ずべきことではない。生きづらく稀薄な存在感だからこそ、同一性や排他ではなく違いを認めること。固定観念に束縛されず、自由に自己を解き放つ平木直理の生き方がそれを示す。「いま」と向き合い続ける著者は、文学の最前線に佇(たたず)んでいる。
(河出書房新社・1760円)
1983年生まれ。作家。著書『マザーズ』『アタラクシア』など多数。
◆もう1冊
『蛇にピアス』金原ひとみ著(集英社文庫)。芥川賞受賞のデビュー作が原点。