『鯨鯢の鰓にかく』
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商業捕鯨から漂う“カネの匂い” でもそう単純ではない“ことの本質”
[レビュアー] 角幡唯介(探検家・ノンフィクション作家)
動物愛護の声が高まるなか日本の捕鯨産業は肩身がせまくなるばかりだ。IWCを脱退し、南極海での調査捕鯨から近海商業捕鯨に舵を切ったあともそれは変わらないようだ。捕鯨の世界に深く関わってきたライターによる、この、現時点における総合報告の決定版とでもいうべき本をよむと色々考えさせられる。
私の探検のベースであるイヌイットの村では鯨は主要な獲物のひとつだ。それに私自身も狩猟者なので、基本的には捕鯨容認の立場である。鹿やアザラシはOKで鯨はダメというのは理屈にあわないからだ。
でも商業捕鯨となると、本当にそれでいいのか? との自問がどうしてもなくならない。
本書で描かれる母船団方式による商業捕鯨は、イヌイットや太地町の伝統捕鯨とちがい、カネの匂いが漂ってくる。業界の維持発展、操業する会社の経営の問題、船員の生活、国益もふくめて背後に資本の論理が見え隠れする。でもそれを言ったら伝統捕鯨だって地域住民の生活のためにやっているわけで、いまの経済体制下では資本の論理に吸収される。イヌイットの狩猟だって目的の半分はカネのためだ。
とどのつまり、ことの本質は鯨の巨大さにあるのではないか。圧倒的に巨大な生き物を前にすると人間なんて卑小な存在だ。こんな大きな生き物を殺していいのか? 人間本位で扱っていいのか? という必然的に生じる畏怖や懼れ。この感情は根源的だ。あまりに巨大であるがゆえに、鯨を獲るという行為のなかには、狩猟行為のすべて、ほかの生き物を殺して自分が生きることのすべて、つまり人間が生きている限り逃れられない矛盾や原罪が全部あらわれる。それにたじろぐのではないか。
多くの日本人は鯨を獲るわけでもなければ食べるわけでもない。でも日本は捕鯨国だ。だから鯨については気になる。すごく難しい問題だけど考えておくべき問題でもある。