『女の氏名誕生』
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【書方箋 この本、効キマス】女の氏名誕生 尾脇 秀和 著
[レビュアー] 濱口桂一郎(JIL-PT労働政策研究所長)
膨大な驚きに満つ歴史
過去数十年にわたって夫婦別姓を巡ってさまざまな議論や訴訟が繰り返されている。今年6月には経団連が、選択的夫婦別姓の導入を要望して注目された。政治問題になってしまったこの問題について、しかしながら熱っぽく論じている人々の多くは、そもそも日本において女性の名前というものがいかなるものであったのかについて、きちんとした知識を有しているのだろうか。
本書は、今日とまったく異なる江戸時代の女性の名前(苗字のない「お○○」型)が、明治維新直後の激動期を経て、近代的な「夫の苗字+○○子」型に移行していく過程を、膨大な名前に関する資料を駆使して浮彫りにしている。名前というのは誰もが最も身近に経験する現象だが、自分の身の回り以外についてはほとんど土地勘がない世界でもある。江戸時代の全国各地の宗門人別帳から明治維新期の戸籍や行政関係資料まで、膨大な女性名が溢れる本書は、ページをめくるごとに「そうだったのか!」という驚きに満ちている。
そもそも「長谷川・平蔵・藤原・朝臣・宣以」といった「苗字+通称+氏+姓+名乗」型の男性名とまったく異なっていた「お・りん」といった苗字のない女性名が、明治維新期に「苗字+名乗」型に転換された男性名と同じ形式にはめ込まれる際に、その女性名の上に「夫の苗字」を載せるべきか「実家の氏」を載せるべきかが大問題となったのだ。その際、伊藤博文などは近世的な「イエ」の名称である「夫の苗字」の下に夫婦家族がまとまる形を主張したが、保守派はこれに断固反対し、女性はたとえ結婚しても古代的な「ウジ」の名称である「実家の氏」を称するべきだと主張した。結果は保守派の勝利で、明治7年に「婦女、人ニ嫁スルモ仍ホ所生ノ氏ヲ用ユヘキ事。但、夫ノ家ヲ相続シタル上ハ夫家ノ氏ヲ称スヘキ事」と、原則的夫婦別姓が内務省指令として発せられた。
ところがこれは現場では多くの混乱をもたらし、地方からは女性も夫の苗字を称することができるようにしてほしいとの要望が殺到した。近代社会は近世「イエ」社会の延長線上であって、古代「ウジ」社会とは断絶している。観念的な保守派の「所生ノ氏」イデオロギーは、現実社会との間に無数の矛盾をもたらした。しかしこの内務省指令は、明治31年に「戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス」、「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」と規定する明治民法の施行まで生きていたのである。
当時地方からは繰り返し、妻は夫の苗字を称するのが通例で、生家の苗字を称するのはごくわずかなのに、内務省指令によって公文書だけ嫌々生家の氏を書かざるを得なくて皆困っているという訴えがされていた。それから100年以上の時が流れ、女性の社会進出が進み、結婚前の氏名を利用し続けることができず、改名を余儀なくされることの不利益が大きくなってきた。そのなかで、かつては空疎なウジイデオロギーに対する現実社会の要請であった夫婦同姓主義が、経団連の要望にも示される現実社会の要請に対してイデオロギー的に妨害する観念となったように見えることは、何とも皮肉なことである。
女の氏名の歴史は膨大な驚きに満ちている。思い込みで語っている人々にこそ一読を勧めたい。
(尾脇 秀和 著、ちくま新書 刊、税込1320円)
選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎