藤井道人監督、横浜流星主演、映画『正体』公開記念 <染井為人×けんご>特別対談 「原作で泣いて、映画で泣いて」
対談・鼎談
『正体』
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映画『正体』原作小説ファン限定トークショー 原作で泣いて、映画で泣いて
[文] 光文社
特別対談 染井為人×けんご
映画『正体』の11月29日の公開に先駆けて、小説『正体』をすでに読んでいる読者限定の特別試写会が催されました。本編上映後には、原作者の染井為人さんと小説紹介クリエイターとして活躍されるけんごさんをお招きし、映画ライターのSYOさんが進行役を務め、小説完成までの創作秘話や映画化にあたっての見どころや感想などをお訊きしました。
進行・まとめ/SYO
9月17日「松竹(株)試写室」 撮影/公文一成
染井 『正体』の原作を務めました染井為人(そめいためひと)です。今日は短い時間ですが、お楽しみいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
けんご 小説紹介クリエイターのけんごです。本日は染井さんの大ファン、そして『正体』の大ファンとしてこの場に立たせていただき、大変光栄です。よろしくお願いいたします。
染井 実は僕、『正体』の裁判シーンに出演させていただいています。気づかれた方はいらっしゃいますでしょうか。(何人か手が挙がり)よく気づきましたね。すごく色の黒い人が映っていると思われたでしょう(笑)。森本慎太郎(もりもとしんたろう)さん演じる和也(かずや)の隣に座っていましたが、最初にこの映画を観たときに「うわ、こんなに映っちゃっていいのかな。自分の顔のつくりはエキストラ向きではないな、大丈夫かな」と思いました。みんなに「出ろ出ろ」と言われてのこのこ出てしまいましたが、撮影時は手を叩いたりリアクションしたりと色々やることがあり、藤井道人(ふじいみちひと)監督もテイクを重ねられる方なのでなかなか大変で。良い経験になりました。
けんご 実はそのシーンのロケ地は、僕の母校なんです。たまたま事前にお知らせされていたので、何かあるだろうなと思っていました。それで本編を観ていたら染井さんが出演されていて、こんな縁もあるのか! と驚きました。
染井 ここにいらっしゃる皆さんは原作を読んで下さっている約束のもとお越しいただいたかと思いますが、僕自身が一番救われたんじゃないかなという映画でした。こういうラストを迎えてくれてすごく嬉しく思うし、僕があえて描かなかった「警察側・権力側からの視点」に主軸を置いていて、山田孝之(やまだたかゆき)さん演じる又貫(またぬき)にも一つの良心があり、本当に有難かったです。
けんご 僕も先週初号試写で拝見しましたが、大号泣してしまいました。僕は映像作品で泣くことが滅多になく、家族からも「血も涙もない人間」とよく言われるのですが、本作は特別でした。これは、原作ありきの涙だったと思います。立てこもりのシーンくらいから頭の中に原作が浮かんできて、「原作だとここからこうなるはずだけど、どうか……」という想(おも)いを持って観るという、今までにない体験をしました。
染井 宣伝の惹句が決まりましたね。「血も涙もないけんごが泣いた」。
けんご (笑)。しかも極めつきは、僕が全国各地のツアーを追いかけて回っているほど大ファンのヨルシカが主題歌を手掛けていたことです。「こんなに心を震わすのはやめてくれよ」とエンドロールでも泣き続けていました。普段泣くことがないので、その後頭痛が止まらなくて困りました(笑)。
染井 僕はメディアトレンダーズという沙耶香(さやか)(吉岡里帆(よしおかりほ)さんが演じてます)が勤めている会社のシーンも見学に行きましたが、映像に映らない部分まで本当に細かく小説の世界観を表現して下さっていて、びっくりしました。例えば壁に置いてある本棚の中の一冊一冊にもこだわりがあって、こんなことがあるのかと。また、原作はコロナ禍が起きる前に書き終えてしまっているのですが、映画はオリンピックがずれ込んだ現実も反映して下さっていて、原作では有明(ありあけ)だったものを大阪に変更しています。オリンピックに向けた工事現場のシーンが、大阪万博の工事現場になりました。大阪での撮影は酷暑の中行われたと聞いています。長野のシーン(撮影は富山と長野)は雪が降り積もる場所でしたでしょうし、暑かったり寒かったりする環境での大変な撮影だったかと思います。
けんご アクションシーンもすごかったですね。
染井 冒頭の救急車の中でのシーンでは、車体の上の部分だけをくりぬいて上から撮影したそうです。映画の鏑木慶一(かぶらぎけいいち)は、横浜流星(よこはまりゆうせい)くんが演じていることもあってすごく強い。僕は流星くんは半分役者で半分格闘家だと思っていますが、彼のストイックさが鏑木と見事にマッチしていました。
けんご 『正体』という物語には緊迫感がずっと流れていましたが、映画にもしっかり表れていてドキドキが止まらない作品でした。ちなみに僕と原作の出会いは、Audible版でした。何の気なしに聴き始めて、「これはとんでもない物語だから原作を買って文章を読もう」と途中で止めたのを覚えています。染井さんの作品は『悪い夏』『正義の申し子』から『滅茶苦茶』まで、緊張感がずっと漂っているのが特徴かと思います。「こうならないでほしい」と「こうあってほしい」のバランスが素晴らしく、何といっても読みやすい。頭の中で映像化されるからグイグイ読み進めていけますが、それは簡単にできることではないと思います。
染井 先を決めて書かないのが緊迫感につながっているのかもしれませんね。読みやすさに関しては、すごく意識しています。けんごさんが普段小説をあまり読まない方に向けて紹介しているのと同じように、僕も本が得意じゃない方が手に取って「面白い」と思ってもらえるように書いているところはあります。僕の書いているものは純文学のように価値の高い高尚なものではありませんから、誰が読んでもするっと入り込めるものにはしたいなと思っています。
けんご トークイベントが始まる前に染井さんとお話しさせていただいたことですが、削ることは勇気がいるものだと思います。僕たちでいうと「これを言った方が盛り上がるんじゃないか」とか、小説家さんなら「もっと比喩表現を付けた方がいい文章になるんじゃないか」といった葛藤は常にありますが、その中でシンプルさを選ぶのは、並大抵のことではない。下手したら簡素に見えてしまいますからね。そうした意味で、染井さんの小説はものすごく洗練されていて、お手本だと感じます。
染井 いやいやとんでもない! ただやっぱり、引き算の方が難しいですよね。『正体』でいうと、鏑木は本当はこう思っていて、こういうシーンなんだといったように皆さんに伝えたいことはいっぱいあるんです。でもあえてそれを一切行わず、鏑木の視点をなくすことで読者の皆さんが「彼はこんな人なのかな」と想像する余白を残しました。僕はそうした手法が好きなのですが、『正体』はもろにそれが出ています。
けんご 染井さんは先日Xに「プロットも作らない、ろくに構想も定まらない、その上で好き勝手に書き連なった長編」とポストしていましたよね。ただ、文庫版で615ページはそれなりにボリュームがあるかと思います。書き始めたときは、これくらいの長さになると想定されていたのでしょうか。
染井 全く想像しておらず、こんな長くなっちゃってどうしよう……と思っていました。売れている大御所の作家さんだったら「書いたんだから出して」と出版社に言えるかと思いますが、デビューして間もない無名の作家がこれくらいの長さを書いてそのまま通るわけがないんです。普通は「半分に減らしてください」と言われるものでしょうから。でも光文社はこのまま出してくれて、本当に感謝しています。単行本をいま見るとなかなか面白くて、見たことないほど文字がびっちり詰まっているんです。少しでもページ数を減らそうと出版社が努力した結果ですね。もし機会があれば、皆さんもチェックしてみてください。
けんご 染井さんは、『正体』に限らず文庫のあとがきが素晴らしいですよね。客席の皆さんも頷いていらっしゃいますが、様々な小説家さんとお話するなかで「あとがきがノイズになりそうで怖くて書けない」という方は多くいらっしゃいます。その中で染井さんはずっとご自身で書かれていて、あのあとがきを楽しみにされている方も多いのではないでしょうか。自分が動画で紹介する際にも、あとがきを見どころとしてピックアップしています。
染井 そういう風に言っていただけてとても光栄です。文庫版にはたいてい解説がついていて、大体書評家さんや他の作家さんが書いてくれますよね。ただ僕の場合は、多分その予算が取れないだろうな、という感じがあり、「せっかく文庫を買ってくれた方に申し訳ない」とデビュー作で自分であとがきを書いてみたら、二作目も続けてやることになり、いまや恒例化しました(笑)。
『正体』発表時、鏑木の最後について読者の皆さんから「何してくれたんだ」と相当言われました。僕自身もずっと引っかかっていたのでその想いをあとがきに書きましたが、それを汲(く)んだ映画になっていてとても嬉しかったです。
けんご 執筆時、結末をどうしようか相当悩まれたのではないですか?
染井 滅茶苦茶悩みました。僕は先を決めずに書き始めるので、着地はどうなるんだろうと僕自身もずっと気がかりでした。あの形で書き終えて出版社に持っていったら、当時の編集長に「ラストを変えてくれないか。これでは読者が納得しない」とは言われたんです。ただ僕の担当編集は「このままでいいと思う」と言ってくれて、僕自身もこの形じゃないと小説として成立しないという気持ちでしたから、変えることはありませんでした。そのときはこうやって色々とメディアミックスされるなんて思っていなかったものですから、皆さんの力で違う世界を見せていただけてありがとうという感じです。
けんご 映画ではSNSを使った拡散も出てくるため、現代を生きる中高生の方が観ても共感できるでしょうし、リアルな怖さは伝わるのではないかと思います。いまという時代は、SNSを使えば簡単に冤罪を作り出せますよね。だからこそ、この物語が持つ意味はどんどん強くなっているのではないか、と映画を観て改めて感じました。
染井 本当にそうですよね。世の中で起こっていることで何が一番理不尽かと考えたとき、「やっていないことをやった」と言われてしまうのはやっぱり納得がいきませんよね。そういった意味では、僕は社会的なメッセージを伝えたいという想いで書いているわけではありませんが、自分が作ったエンターテインメントの中からそうした要素を皆さんが感じて下さったら嬉しいです。
けんご 少なくともこの会場にいらっしゃる皆さんには、その想いが届いているかと思います。せっかくなので、どなたか質問があれば伺いたいと思います。
質問者 『正体』は今回で二度目の映像化ですが、染井先生が映画化決定のお知らせを聞いた時の感想と何かアイデアを出したエピソードがあれば教えて下さい。
染井 発売してすぐ、有難いことに映像化のオファーをたくさんいただきました。その中で、僕から脚本や中身に対して口を出したことは一切ありません。ラストを変えても変えなくてもいいし、新たな登場人物を出してもいいし、自由に作って下さいとは伝えました。特に今回、藤井監督と流星くんがものすごく熱い思いを持ってくれていたので、この二人になら何をやってもらっても大丈夫という安心感があり、お任せしました。改めて、今日ここに集まって下さった皆さん、ありがとうございます。関係者向けの試写を除けば、皆さんが一番早く完成品を観て下さった方々になります。ここにいる方々には今後『正体』の広報として頑張っていただき、映画も大ヒットして小説も売れる―ということを期待しています(笑)。
けんご 僕はこの場だからとかではなく、本心から『正体』は今年ナンバーワンの邦画だと思っています。僕も広報として、全力で皆さんと盛り上げていくつもりです。
染井 本当にありがたいです。『正体』はけんごさんが火をつけて下さったところがありますが、本当に自分が好きなものを素直に紹介して下さるから皆さんにも届いたのではないかと思います。帯コメントもありがとうございました。
けんご いえいえ! 動画で紹介後に出版社の方からお声がけいただき、『正体』の応援になるのであればぜひ、とお受けしました。本当に原作小説を読んで泣かされ、映画で泣かされ、泣いてばっかりの『正体』です。今日は大好きな染井為人さんのお話を皆さんと一緒に聴くことができ、とても楽しかったです。本当にありがとうございました。引き続き応援しております!
染井 ありがとうございます。けんごさんをはじめ、小説を読んで愛して下さっている皆さんに支えられたお陰でこのようなプロジェクトになりました。本当にこの場を借りてお礼を言わせてください。今日はなかなか時間も短くて皆さんに満足いただけたかはわかりませんが、今後も読者の皆さんと触れ合う機会を持ちたいと思っています。映画と小説の『正体』を、どうぞよろしくお願いいたします!