『わたしたちは、海』
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『わたしたちは、海』刊行記念ロングインタビュー
[文] 光文社
海の街に暮らす人々の、何気ない生活を描き取った短編集『わたしたちは、海』。
都会の若者の恋愛を描いたデビュー作『明け方の若者たち』が大ヒットしたカツセさんが、地方都市に暮らす老若男女のゆるやかな“生活”を描いた心境を語ってもらった。
聞き手/瀧井朝世
『わたしたちは、海』は海辺の街を舞台に、さまざまな人が登場する群像小説集です。この舞台にしたのはどうしてですか。
カツセマサヒコ(以下、カツセ) 一篇目の「徒波(あだなみ)」を書いたのが二〇二一年で、自分が東京という街に疲れ海辺の街に引っ越して一年目くらいのタイミングでした。それで海辺の街を書いたところ、この街で一冊の本にしませんかとなって。日々散歩に出掛けたり、近所でウグイスの声を聴いたり、子供と海で遊んだりして生活自体がスローになっていたので、このテンポで一冊書けたらすごく心地よいなと思いました。
――東京という街に疲れていたのですか。
カツセ デビュー作である『明け方の若者たち』の映画が公開された直後だったこともあり、よく「若者の恋愛を書く人ですね」と言われたんです。恋愛青春小説を否定するわけではなくて、ただ、この先いろんなものを書かせてもらっていくうちに少しずつ作家としての自分の色が出てくれば、と思っていたんです。でも新たに声をかけてくれた出版社の大半から「恋愛青春小説を書きませんか」と言われて。依頼に応えなければというプレッシャーと諦めが半分ずつあって疲れていました。それで海辺の街に越して、東京の華やかすぎる世界から浄化されるように生きていた時期に、雑誌の特集で「胸キュン」というお題をいただいて書いたのが「徒波」でした。
――「徒波」はとある事情で疲弊し、海辺の街に越してきた三十代のユキオの話ですね。
カツセ 発端は自転車のサビです。自分は海から二十分くらいのところに住んでいるんですが、それでも自転車がサビる。ここまで潮風が届くんだと思うと海にふてぶてしさをおぼえました。住むうちに、陽気で華やかなイメージとは違う海の印象が強くなっていたので、この街に暮らしているのはどういう人だろうと思いながら物語が始まりました。
その頃は佐藤泰志さんの小説にはまっていて、佐藤さんの書く函館の街の停滞した空気のなかでの出会いや会話に感銘を受けていたんです。その影響を受けて、自分も心象風景を多く書こうと思いました。
――ユキオは偶然、十二年前に別れた元恋人のサチコに再会し連絡をとりあうようになる。でも彼はなんだか億劫そうで、「胸キュン」という感じではないですね。
カツセ あの頃は「胸キュン小説」と言われて違うものを書くくらいの反骨精神がありました(笑)。同世代の友人と話すと、恋愛よりも他のことにエネルギーを使いたいと言う人が多いんです。ユキオもそうだろうと思いながら心情を書きました。サチコにとってのユキオも、これならすがってもいい藁のようなものだったと思う……って、話せば話すほど胸キュンではないですね(笑)。
――ユキオが疲弊した理由が複雑ですね。そんな彼が、本書の他の短篇にちらっと出てきた時に無事に生活していてほっとしました。
カツセ 自分も海辺の街に越してから生活の大切さに自覚的になりましたが、ユキオの回復も生活に紐づいている。一篇のなかで回復に至るような速度はありえないので、他の短篇で街に馴染んでいるところまで書きたいと思っていました。
――二篇目の「海の街の十二歳」は、小学生の「僕」とシンイチとヨモヤが、少し遠くにある煙突の下の公園まで自転車で行き、クラスの女子たちが埋めたタイムカプセルを掘り返そうとする。
カツセ これは「学校」というお題をいただいて書きました。僕も小学生の頃、杉並区の学校の屋上から都庁が見えたので、友達とあそこまで行ってみようと自転車で冒険したんです。あの冒険心は小学生ならではのものだという意識がありました。あと、幼少期に住んでいた街にごみ処理場があって、煙突の下に温水プールがあったんです。だから僕の中で煙突は楽しい場所という印象だったんですが、今住んでいる街にも煙突があるので、そこまで行く話を書いてみたくなりました。締め切り前に自転車で煙突のふもとまで行き、近くの公園でタイムカプセルを埋める場所を探したりして(笑)。
――少年らはその冒険で井上真帆という同級生の家庭の事情を知ってしまい……という。
カツセ ただ人のタイムカプセルを掘り返すだけだと、最悪なガキの話になるので(笑)。
この小説集は、背景に幸せな家庭とそうじゃなかった家庭というテーマがうっすらありました。自分が平和な暮らしができているのは奇跡のようなもので、そうはできずにいる人もいることはいつも意識しているんです。そういう人がたまたま図書館で手に取った一冊で少しでも救われるといいな、と思いながら書いているところがあります。
――三篇目の「岬(みさき)と珊瑚(さんご)」は、小学校教師の岬と保育士の珊瑚という友人同士がドライブで街を訪れる。二人の仕事に関する本音や愚痴がものすごく面白かったです。
カツセ お仕事から逃避している話なのにお仕事小説になっていますね(笑)。昔からバディムービーが好きなので、この二人は書いていて楽しかったです。自分も親として、学校の先生は本当に大変だろうし、ありがたいと思っています。
――彼女たちは日が暮れた後、雑木林で迷子を見つけますが、すぐにプロの顔になりますよね。親のネグレクトを疑ったりして。
カツセ 前向きに仕事しているわけじゃないんですけれど、沁みついた職業倫理みたいなものに突き動かされるんですよね。迷子の子の服のタグに名前が書かれてあるか確認するくだりは、実際に迷子を助けた友人が言っていたことでした。
――この二人のように、この街に住んでいる人だけでなく、訪れる人も登場しますね。
カツセ ずっと住んでいる人、越してきた人、去っていく人、ふらっと遊びに来た人。いろんな人が街にいると感じているので。
――四篇目の「氷塊(ひようかい)、溶けて流れる」は疎遠だった父親に、自分の子供と同じ年の子供がいると知る男性の話です。
カツセ これ、実話です。十年ぶりくらいに会った高校時代の友人が、フェイスブックでたまたま疎遠だった父親を見つけたら自分の子供と同い年の子供がいたと言っていて。面白すぎて「物語にさせてほしい」と言いました。友人の父親はもともと家と会社を往復するだけの生活の堅物で、尊敬できない人だったそうなんですが、タイに単身赴任したら激変してものすごく陽気になって。「怖っ」と思っていたら母親と離婚することになり、その時の母親の荒れ具合がひどかったらしいです。どちらの親からもひどい扱いを受けたので、自分の子供には絶対そうしたくなくて「今は氷を溶かしている最中」と言っていました。
――作中のお父さんと同じですね。まさかの実話だったとは!
カツセ 環境が変わればここまで変わる、ということで考えれば、この小説集の舞台である相模(さがみ)湾のある街に疲れてやってきて癒されて変わっていく人と同じかなと。そのものすごく陽気なバージョンがこのお父さんですよね(笑)。
読者からは「父親に対してもっと怒っていい」という意見ももらいましたし、僕も許せないままでいてほしいです。ただ、今自分が子供にしていることもエゴではないかと気づいたら、一部許せるところがある。僕も子育てしていて、これは子のためを思って言っているのか、それとも自分の過去を払拭したくて言っているのか迷うことがあります。子供のための最善の言動は何かなかなか答えがでなくて、妻ともよく話しますね。
――五篇目の「オーシャンズ」は高校生の雫が主人公。彼女は近所にある、おばあさんが営む青果店をよく手伝っていますが、ある日突然、店が閉まってしまうんですよね。
カツセ 自分が住んでからの三年の間にも、新しい建物ができたり、店が潰れたりして街が変化している。そういう、失っていくもの、去っていくものを描いておきたかったんです。この話では、街の中で悪がひとつ減ったけれど、雫ちゃんは自分を救ってくれる居場所をなくしてしまうという。
――この話で、「海の街の十二歳」の真帆さんのその後が分かりますね。
カツセ はい。それと裏設定なんですけれど、作中に〈地元の青年二人〉と書かれているのは「僕」とシンイチです。ヨモヤくんも他の短篇に出てきます。「よもや、よもや」という口癖で分かるようにしてあります。
――これに気づいたら「うわあ……」となりますよね。この短篇は、雫さん視点の「ですます」調の文体も面白かったです。
カツセ この短篇を書く前に、たまたま一穂ミチさんの『スモールワールズ』を読んだんです。それまで短篇集ってそんなに好きじゃなかったんですけれど、ここまで色が異なる作品が揃うと毎回ワクワクできるんだと衝撃を受けました。それで自分も七篇書くにあたり、書き味をちょっとずつ変えました。「オーシャンズ」というタイトルも影響を受けている気がします。『スモールワールズ』はそれぞれに世界があるという意味だと思うんですけれど、「オーシャンズ」も人それぞれに海があり、その海が繋がっているというところで意味合いが重なっているので。
――この短篇に本作のタイトルの「わたしたちは、海」という言葉が出てきます。
カツセ これは最後に書き下ろしで書いたので、ラストシーンで言いたいことを言いました(笑)。最終話の「鯨骨(げいこつ)」を書いた時、自分たちの人生や関係性は海のようなものだとか、海自体が生命が生まれてきて死んでいく場所でもあるといったことを実感したので、それを言語化する機会だということで、思いをこめて書きました。
――六篇目の「渦」は、夫婦で移住し、東京に通勤する女性がママ活にハマる話です。
カツセ やはり恋愛小説はひとつ期待されているだろうと考えた時に、抗いようのない恋愛感情を抱く女性を書きたいなと考えました。その頃ママ活という言葉が流行っていたので、実際にママ活をしている青年に取材したんです。その人が、ママ活のアプリはコストパフォーマンスが悪くて、それよりホテルのバーとかで一人で飲んでいるほうが声をかけてもらえる、って。最初に金銭の関係だとちゃんと伝えるとも言っていました。
――へえ、作中に書かれてある通りなんですね。
カツセ その青年と話していると恐ろしく居心地がよくて。声の質感とか聞き方、話し方で本当に、とろとろにされてしまうんですよ。これがプロかと思いました。主人公の梓さんについては、なにかにすがりたい状況にあるんじゃないかと想像してバックグラウンドを作っていきました。
――夫が手厳しい人なんですよね。
カツセ 成功した人ってすべて自己責任だと思っている人が多い印象があります。生存者バイアスがかかっていて、すべて努力で乗り越えられると思っているのがこの夫です。
――最終話の「鯨骨」は、旧友の潮田(うしおだ)が癌(がん)だと知り、海辺の街に見舞いに訪れる波多野の話。二人はかつて、座礁した鯨を一緒に見に行ったこともあって……。
カツセ この話を単行本の最後にすると決めていました。
同い年の友人が癌で亡くなったんです。僕も波多野のように友人の家に行って、配偶者の方とお話ししました。その日から、生きていく人がどのように死者のことを思っていけばいいのかと考えるようになって。実際の人の死を物語にするのは暴力的な行為だと思っていましたが、ある人が「それを作品にしたら、君は絶対その友人のことを忘れないから、その人のためにもなるんじゃないか」と言ってくれて。ならばしっかり書きたいと思いました。潮田はその友人がモデルではないけれど、スチャダラパーが好きなのは同じです。それくらいは残しておきたかったので。
それと、引っ越した年に座礁したマッコウクジラを見に行ったことを思いだしたんです。姿が見えないうちから臭いがすごくて、目の前に現れたらとても大きくて、白い骨が突き出ていて。その時、驚きをその場でiPhoneにメモしました。鯨の死臭は潮の匂いを何倍も濃くしたような臭いなんですが、これは生まれてきたものと死んでいったものが蓄積された臭いかな、とも感じたんですよね。それが、大きな命の循環のことや、友人のことと重なっていきました。
――全体を通して、この海辺の街にもさまざまな家庭環境や経済格差、古い価値観に対する違和感などを含むリアルな生活があると感じられます。だからこそ登場人物一人一人の心情や、タイトルの言葉が響いてくる。
カツセ 自分の目に映るもの、聞こえたもの、感じたものを素直に書いたので、リアリティをおぼえてもらえたらすごく嬉しいです。
――短篇集はそんなに好きじゃなかったとのことでしたが、書いてみていかがでしたか。
カツセ 書いてみたらすごく好きでした(笑)。物語を完結させた瞬間の疲労感と喜びが、長篇でも短篇でもあまり変わらなかったんですよ。だったら短篇をいくつも書いたほうが腕も磨かれるし、得られる実感も大きい気がしました。
――ところでカツセさんは、昔から小説家を志望していたのですか。
カツセ 『明け方の若者たち』が人生の一作目です。書きませんかと言われて書いたので、作家を志望していたわけではないんです。ただ、その時に推薦コメントをくださった村山由佳先生が、コメントと一緒にメッセージをくださったんです。一文あたりが長すぎるといった指摘の後に、「書き続けていけば、それもこなれてくるでしょう」とあって、小説家としてスタートを切った感覚になりました。尾崎世界観さんと対談した時には、新人賞を獲らずにSNSのフォロワー数が多いからとか、ミュージシャンだからという理由で本を書かせてもらってちょっと売れた人間が勝ち逃げするのはいちばんダサいから、偽物なりに描き続けて本物になる努力は惜しむべきじゃないよね、という話をされて。それも衝撃を受けました。その師匠お二人の言葉が刷り込みのように自分の中にあります。
――今後どういうものを書いていきたいですか。
カツセ 最初に疲れたという話をしましたが、時間が経った今は、自分に代表作と言われるものがあるありがたさも素直に受け取れるようになりました。なのでもう一度恋愛小説をちゃんと書きたい気持ちもあれば、まったく違うジャンルのものを書きたい気持ちもあります。新人賞を獲ってデビューした方って、デビューするまでに十作以上書いている方が多いですよね。自分はそうした蓄積がないので、まずは十冊出せるように頑張っていきたいと思っています。込み)