『五葉のまつり』
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次回作が待ち望まれる、必読の一冊
[レビュアー] 本郷和人(東京大学史料編纂所教授)
本郷和人・評「次回作が待ち望まれる、必読の一冊」
ものすごい小説が登場した。書評を依頼された、取りあえず褒めておけば良いだろう、ということではない。評者はウソ偽りなく、本気で、心の底から、感嘆している。
豊臣秀吉は裏方の仕事ができる人を取り立て、行政を委ねた。彼らは奉行衆などと呼ばれるようになったが、そのうち浅野長政、前田玄以、石田三成、増田長盛、長束正家はとくに重用され、五奉行と呼ばれた。本書はこの五奉行を主人公に据え、秀吉が行った北野大茶会、刀狩り、太閤検地、大瓜畑遊び、醍醐の花見という「まつり」=大イベントにおいて、彼らが「どのように仕事をしたか」を克明に叙述する。
たとえば朝廷に「白馬節会」という儀式がある。これが「あおうまのせちえ」と訓じる年中行事の一つであること。毎年1月7日、邪気を祓うという白馬を庭に引き、出御した天皇がこれを覧た後、群臣らと宴を催すこと。ここまでは古典に親しんだ者ならば知っている。だが、どの役職につく人が、どのような用意をするのか。馬はどこから連れてくるのか、宴のしつらえはいかなるものか、どんな酒や料理が出てくるのか、となると、それに過不足なく答えられる研究者は実は皆無である。だが著者はそれをやった。しかもあくまでも歴史小説として。歴史観を示し、人物を造形し、ときにミステリー要素も盛り込んで、手に汗握るストーリーに仕立てて。これが感嘆せずにいられようか。
そもそも「将軍」とか「天下人」と呼ばれる武人政権のトップは、二つの支配権を管轄していた。一つは主従制的支配権。武士たちと主従の関係を結び、土地を与え、戦場での奉公を求める。〈軍事〉である。もう一つは統治権的支配権。社会に向けて諸々のサービスを施して税を徴収する。〈政治〉である。秀吉の死後、彼の大権は複数の大名によって分有された。五人の大大名が協力して、主従制的支配権を行使した。これが徳川家康以下の五大老。五人の実務官がそれぞれに、統治権的支配権を担当した。これが五奉行。
家康は関ヶ原の戦いに勝利した後、他の四大老を排除して、独力で大名たちに土地の分配を行った。この時に彼は、諸大名を従える「天下人」となった。五奉行は仕事を奪われ、その職務はやがて江戸幕府の老中や若年寄などの吏僚に引き継がれていく。今さらりと述べたが、こうした理解はいまだ学問的な共通認識になっていない。だが歴史研究者たる評者は、これがもっとも説得力を有する理解であると自信をもっている。
秀吉という人は、薪奉行をはじめとする様々な仕事をしながら立身したせいであろう、「実務をこなす」ことに重きを置いた。考えてみればもっともな話で、1万人を率いる大将が自ら敵陣に吶喊しても勝利は得られない。彼がなすべきは他にある。後方に控え、諸事を監督する。食料は足りているか、武器は行き渡ったか、陣地の構築は適切か、民への宣撫工作は順調か、他陣営との連絡はどうか。雄叫びを挙げながら突撃するだけの豪傑では、可児才蔵が良い例で、せいぜい1000石止まり。秀吉の家臣は務まらない。
七本槍の一人、脇坂安治は賤ヶ岳での活躍の後、伊賀の代官に任じられた。彼の元に秀吉からの指示が届く様子が、『脇坂家文書』に明らかである。「伊賀山中の大木を切れ。京へ送れ。」そう命じられた安治は、困惑を隠せない。「殿もご存じのように、私が得意なのは槍働きです。どうか戦場にお連れください。命がけで戦います。」すると秀吉は怒りの返事を返す。「つべこべ言わずに木を切れ。どんどん京へ送れ。」槍を振り回すだけの男で終わって欲しくはないのだ。それが秀吉の願いであったろう。だがその仕事ぶりは、残念ながら意にそぐわなかったようだ。彼は豊臣政権下、3万石の身代で終わる。
最終目標はこれこれだ。そこに到るやり方は「よきにはからえ」。秀吉が命じると、奉行たちは懸命に方途を考え、身命を賭して実行する。目標の実現に向けて、寸暇を惜しんで働く。成果に満足すると、秀吉は次なる難題を示す。奉行たちは自らの仕事ぶりに束の間の充足を憶え、再びの仕事に邁進していく。仕事を戦働きとするくり返しの中で頭角を現したのが、三成たち五奉行であった。著者はその方途の選定や働きぶりを活写する。いつしか文章に引き込まれた読者は、仕事の達成を奉行とともに喜ぶのである。
彼らは誇らしくいう。自分たちは花ではない。葉である、と。「誰が見ずとも葉は生い茂り、やがてひっそりと身を引き、再び花が咲き誇る」「人々の笑いを咲かせるため、誰に顧みられずとも働き続ける」と。だが、実は秀吉ほど「葉」たる彼らを厚遇した天下人はいない。三成は近江・佐和山で19万石、長盛は大和・郡山で22万石。長政は甲斐・甲府で22万石。玄以と正家は5万石ながら、京に近い要地を任されている。
これに対し家康は吝い。わが友とまでいいながら本多正信に2万石。利根川改修の大工事を遂行した伊奈忠次に1万3000石、財務大臣たる松平正綱に2万石。天下の総代官と謳われた大久保長安は8000石。その吝さは不気味ですらある。秀吉を失ったとき、三成らはこの得体の知れぬ男に、どう対処するのだろうか。次回作が待ち望まれる、必読の一冊である。