『石灰工場』
- 著者
- トーマス・ベルンハルト [著]/飯島 雄太郎 [訳]
- 出版社
- 河出書房新社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784309209128
- 発売日
- 2024/09/24
- 価格
- 3,245円(税込)
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自称科学者はなぜ妻を射殺したのか。世界的作家の衝撃作新訳
[レビュアー] 乗代雄介(作家)
本作は、存命だった一九八一年以来、四十三年ぶりの新訳である。オーストリアひいてはドイツ語圏の現代文学を代表するこの作家は一九八九年に亡くなっているが、三十年以上経った今でも日本で毎年のように翻訳書が出版されていることからもわかる通り、時代的・世界的に重要な存在であり続けている。
タイトルの石灰工場とは、正確には元石灰工場で、科学者を自称するコンラートが妻と暮らしていた自宅兼研究施設である。冬は雪に閉ざされる静かで何もないその場所で、ある日、コンラートが妻を射殺するという事件が起きる。
彼は聴力について研究していたようで、「ウルバンチッチュ式訓練法」で妻の聴力を上げようと試みながら、論文を執筆していたらしい。噂では二発撃ったとか一発だったとか何発もだとか言われ、妻の希望に従って撃ったとかコンラートは頭がおかしかったとか考える人もいる。
このような伝聞に次ぐ伝聞の中で、一つの改行もなく小説は続く。全編が、保険の営業マンである「私」の射殺事件に関する聞き込みの記録であるためだ。雪や石灰が積もったような閑散とした無の中に、伝聞が幾重にも入り組んで重なるうち、コンラート夫妻が辺鄙な場所で暮らし始めた顛末が、その歪な暮らしが、徐々に形を取り始める。
「私はウルバンチッチュ式訓練法に身も心も捧げているんだから、妻にもウルバンチッチュ式訓練法に身も心も捧げてほしいんだが、妻ときたらあっという間に疲れ果ててしまう」「コンラート夫人の考えによれば、コンラートにはありとあらゆる馬鹿の印とありとあらゆる天才の印が備わっていた」
もちろん、これらの証言自体も伝聞で、どれだけ集めても結論には飛躍を要する。謎に満ちたコンラートの論文の内情を気にしつつ、読者は重なり合う声の中を進む。その反響を単純に楽しめる小説でもある。