『解剖学者全史 学者とその書物でたどる5千年の歴史』コリン・ソールター著
[レビュアー] 小池寿子(美術史家・国学院大客員教授)
医師と芸術家 神秘にメス
レオナルド・ダ・ヴィンチは1507年、自身がみとった老衰の百歳の男性の解剖を行った。多くの解剖を手がけてその仔(し)細(さい)を『手記』に書きとどめ、人体各部位の精(せい)緻(ち)で科学的な素描を残したが、それらを弟子が保存し印刷されたのは1900年。もし、レオナルドが亡くなる前に世に出ていたら……。
解剖学の金字塔を打ち立てたのは次世代の医師ヴェサリウスであった。ブリュッセル出身の彼は医学の拠点パリ大学などに学び、1543年、人体の構造について『ファブリカ』全7巻を出版、ギリシアのガレノス以来の古代医学を刷新する。その解剖にはヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノの弟子らが立ち会って実写したとされる。医師と芸術家は共に技を駆使し、創造主への冒(ぼう)涜(とく)という罪悪感と、腐敗と死の恐怖と向き合いながら人体の神秘にメスを入れ続けたのである。
本書は解剖学者に焦点を当て、5千年の歴史を紐(ひも)解(と)いた。全6章で古代から1900年までを辿(たど)るため、足早にならざるを得ないが、何よりヴィジュアルが素晴らしい。木版印刷を経て、16世紀には精巧な銅版画が知識の拡大に寄与し、解剖図は飛躍的に進展する。19世紀には写真に移行、今日はデジタル画像で再現性が高まるが、手彩色版画の絶妙な芸術性には圧倒的なインパクトがある。
古代から14世紀までは医学史と歩を一にする解剖学であるが、そもそも人体解剖の禁忌ゆえに解剖学の独立は遅れ、14世紀にフィレンツェ出身の医師モンディーノにより確立する。しかし彼でさえ、死体に触れるのは不浄とし、指示棒で部位を示して執刀医が切開したのだ。解剖用には罪人の死体が提供され、執刀は身分の高くない理髪外科医により行われ、大体は劇場での公開解剖であった。外科医が独立、解剖法が制定されたのはようやく19世紀イギリスにおいてである。
古代ギリシアの医師ヒポクラテスは名言「芸術は長く、人生は短い」を残した。本書では、医術に寄与した医師と芸術家のコラボレーションを総覧できる。布施英利監修。小林もり子訳。(グラフィック社、4290円)