『朝と夕』
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『朝と夕』ヨン・フォッセ著
[レビュアー] 長田育恵(劇作家・脚本家)
素朴で神聖 漁師の生死
ああ今、真正なものに触れていると実感する喜び。本作は昨年のノーベル文学賞を受賞した、フィヨルド沿いの小さな村に育った作家による、とてもささやかでありながら幽遠な物語。漁師ヨハネスが誕生した日と生涯を終えた日、そのたった二日間だけを描いた物語だ。
ニーノシュクという使用人口の少ない公用語で書かれた本作には、作者らしい、相反する魅力が詰まっている。風俗や自然などノルウェーの田舎の村の人生を局地的につきつめて描くことで、普遍性に到達する。素朴でありながら神聖。分かりやすく読みやすいのに真理に届く。
作者は句点を打たない。ピリオドのない世界は、閉じられることがない。一瞬一瞬が引き延ばされ、生じたあわいに時と場所と生死が多層的に紡がれる。視点も自在だ。途切れることのない自意識はたゆたうように現在と過去を自由に行き来し、知覚と記憶、生者と死者の区別もない。ときに主語なく行動描写が別な人物に切り替わるが、混乱することなく、かえって関わり合う営みの綾(あや)を見るようで、世界を織りなす美しさと慈愛を感じずにはいられない。
台詞(せりふ)の魅力も伝えたい。作者は戯曲『だれか、来る』が高く評価された、世界各地で上演される劇作家でもある。彼の台詞は、言葉や演技を極端にそぎ落とすことで存在の本質を顕(あらわ)している。たとえば――人生の終わり、俺の船に乗って別のところへ行くんだと迎えに来た友にヨハネスは言う。「まあついていくよ」。さりげない言葉から人生と肉体が視(み)える。友と日々どんな言葉を交わし肩を並べていたか。実直に生き、為(な)すべきことは為し、為さなかったことはそのままに、ぼちぼち歩きだす後ろ姿が。台詞がまとう息づかいから読者はきっと重ねて思い出すだろう、身近にいる誰かの姿を。
ノーベル文学賞授賞理由「言葉であらわせないものに声を与えた」に心から首肯する。ミニマムな声の奥に深遠がある。伊達朱実訳。(国書刊行会、2420円)