『ひとでなし』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
『ひとでなし』星野智幸著
[レビュアー] 東畑開人(臨床心理士)
虚実混交 架空日記50年
「小説読んだぜ!」という深い満足感をくれる大長編だった。描かれているのは、「こうであったかもしれない」日本社会のおよそ半世紀であり、そこを生きた人々の物語だ。
主人公の鬼(おに)村(むら)樹(いつき)の半生を描く物語だ。樹は著者をモデルとしているようにも見えるが、それこそが小説的仕掛けで、本書は半自伝であり、「反」自伝小説でもある。というのも、架空日記という「こうであったかもしれない」ことを書く日記をはじめることで、樹の人生は嘘(うそ)と現実が入り混じるものになり、日本社会のこの約50年も実際の歴史とファンタジーが混濁していくところに、物語の肝があるからだ。
カラフルな小説だ。サッカーがあり、新聞があり、政治がある。たくさんの女性や性的マイノリティ、移民たちが登場する。彼らが日本社会をミクロに、マクロにリベラルなものに変えていこうと格闘し、失敗したり、成功したりする。今年もたくさん選挙があって、私たちは政治のことを考えざるを得なかったが、「こうであったかもしれない」日本を考えさせてくれる物語であり、タイトルが「ひとでなし」であるように、そこには「人間として扱われるとは何か」という重いテーマが響いている。
と書きながら、我ながら貧しい紹介だと思ってしまう。小説は要約してもしょうがないし、なんらかの社会的テーマを主張するために小説は存在するわけではない。扱っているテーマをはるかに超えたカラフルな世界を描いてしまうのが小説の力なのだ。
個性的な主人公が、個性的な人たちと出会って、関係を結んだり、切ったりしながら、個性豊かな人間へと成長を遂げてゆく。複雑な個人が複雑に人生を生き抜くところを目撃し、感嘆することこそが、「小説読んだぜ」という喜びの本質だと思う。個人的な生き方を描く小説の力を感じ、そのための場所がある社会を想像する力を与えてくれる一冊だ。(文芸春秋、3190円)