『小説列伝』
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『小説列伝』トマス・パヴェル著
[レビュアー] 郷原佳以(仏文学者・東京大教授)
独自の分類 愛ある小説史
小説はどのように生まれ、育ってきたのか。そもそも、どこからが小説なのか。2世紀の『黄金の驢馬(ろば)』? 17世紀の『ドン・キホーテ』? 小説は近代に生まれたという考えは広く共有されている。しかし本書はそれを通説として退け、1世紀のヘレニズム小説から20世紀のポストモダン小説までの通史を描く。
著者によれば、小説は基本的に、強い魂をもった主人公が理想のためにたゆまず抵抗し冒険する理想論小説と、ならず者がやりたい放題の反理想論小説に分かれる。ヘレニズム小説、騎士道小説、桃源郷の羊飼いを描く牧人小説は前者で、狐(きつね)ルナールが蛮行の限りを尽くす『狐物語』、悪漢を描くピカレスク小説、堕落した人々が愛の駆け引きをする『クレーヴの奥方』などの短篇(たんぺん)小説は後者だ。
騎士道小説の真実味のなさを茶化してみせたのが『ドン・キホーテ』だ。あらゆる喜劇と牧人文学と短篇小説の要素が盛り込まれた。ただし、この作品が最初の近代小説か、という点については、まずセルバンテスにそこまでの野心はなく、またドン・キホーテというキャラクターは強烈な印象を残したが、設定や構成における影響は限定的だという。
18世紀には、『ドン・キホーテ』で試されたジャンルの混合が理想論小説において開花し、道徳律を内包した心理を描くリチャードソンの『パミラ』やルソーの『新エロイーズ』が生まれた。と思えば対抗するように、過ちを犯す人間を描く滑稽小説が出てくる。人物の行動が社会的文脈のなかに位置づけられるのは19世紀だ。『ボヴァリー夫人』は19世紀の反理想論小説である。
著者は人間の捉え方や問題設定の違いから次々に小説を分類してゆくが、その歴史は進化論ではない。取り上げられる小説がどの時代も魅力的なのだ。確かに、中世の理想論小説の主人公には欠点がなく、19世紀以降なら読者が突っ込みを入れるだろう、といった指摘はなされる。しかし、現代の感性で突っ込みを入れながら数世紀前の作品を読むのも楽しいに違いない、そう思わせる作品への愛が本書には一貫してある。千野帽子訳。(水声社、4950円)