『資本主義の中で生きるということ』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
『資本主義の中で生きるということ』岩井克人著
[レビュアー] 櫻川昌哉(経済学者・慶応大教授)
貨幣を論じ 社会を考察
本書は、著名な経済学者がこれまで書きためてきた経済学に関する論考やエッセイをまとめたものである。文学や映画からビットコインまで内容は多岐にわたる。とりわけ真骨頂は、貨幣と資本主義について語っている箇所である。
著者は市場に絶対の信頼をおく主流派の新古典派経済学を批判する。市場経済は貨幣という工夫とともに発展したにもかかわらず、貨幣を経済の背後に追いやり、「見えざる手」が市場の問題を自動的に解決してくれると考えるのは、分析の単純化ではなく短絡化であると手厳しい。人々の期待によってその価値が決まる貨幣は、客観的な裏付けを持たないバブルでしかなく、期待の暴走が経済を引き裂く仕組みを理解することなしに、本来不安定な資本主義を論じることはできないと説く。
タイトルの「資本主義の中で生きるということ」とは、“生きていかざるをえないこと”であると結ぶ。アリストテレスのポリス(国家共同体)を引き合いに貨幣を登場させ、アダム・スミスを脇役に追いやる筆の力は見事である。
溢れんばかりの独創性は経済学を超える。著者は、貨幣と法と言語の共通性に人文社会科学の存在意義を「発見」する。いずれも特定の社会の中でのみ価値を持つ「社会的実体」であり、その抽象的存在を媒介として社会と人間の関係を扱う「科学」に未来はあると力強い。
経済学の論理を言葉で表現しようとすれば、どこかよそよそしい冷たい文章になりがちである。無味乾燥で窮屈な新古典派の思考パターンに自らが絡め取られるうちに、人の心を動かす文章を書く技術と感性が失われるのかもしれない。しかし、著者の文章は不思議と暖かみがある。重厚で格調の高くそして粘り強い文章は、新古典派と本気で戦い続けたもののみに与えられる特権なのだろう。ぜひ経済学、いや社会科学の巨人とともに資本主義を考える旅を楽しんでいただきたい。(筑摩書房、2420円)