AIにはできないこと、人間だからできることを伸ばせ。その理由は?

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AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性

『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』

著者
栗原 聡 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784040825007
発売日
2024/11/08
価格
1,012円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【毎日書評】AIにはできないこと、人間だからできることを伸ばせ。その理由は?

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

AIの発展には目を見張るべきものがありますが、生身の人間が持つポテンシャルを見つめなおしてみれば、さまざまな問題が浮かび上がってくるのも事実。

手放しに喜んでもいられないわけで、慶應義塾大学理工学部教授である『AIにはできない 人工知能研究者が正しく伝える限界と可能性』(栗原 聡 著、角川新書)も、次のように述べています。

もはや人というアリはAIという存在を意識せずに日々前進することができなくなってきた。

AIという道具をどのように使えばよいのか? そして、今後登場するであろう次世代AIはどのようなAIで、自ら考え行動する高い自律性と汎用性を持つ次世代AIと人はどのような共生関係となっていくのか?

そして、次世代AIが人と共生することで、人類は自助の壁を突破することができるのであろうか?AI研究開発で後れをとる日本はどうすべきなのか?

これらの議論を通して、AIには何ができて何ができないのかが明確になってくると思う。(「はじめに」より)

ちなみに、複数の学会を研究活動の場にしている著者の主たる活動の場は人工知能学会だそう。学会活動を通じて、多岐にわたるAI分野の研究者との人的ネットワークを構築してきたのだといいます。その結果、AI分野を俯瞰的に把握できるようになり、見方や考え方も広がっていったのだとか。

昔と異なり、これだけAIという言葉が市民権を得るようになった今、学会も単に研究者の集団に留まっているわけにはいかなくなった。異なる分野の研究者はもとより、一般の方々へのわかりやすい情報発信も必要となった。

単にAIを開発すればよいという時代は終わり、AIが社会に与える影響についてしっかり考える倫理委員会も設置された。

そして、研究力が低下しつつある日本において、これからこの分野に入ってくる人材を育成するため、教育への積極的な介入も検討すべき課題となっている。(「はじめに」より)

つまり、そうした多様な問題意識が、執筆するにあたって大きな意味を持っているようです。そんな本書のなかから、きょうは第4章「AIを使うか、AIに使われるか」に焦点を当ててみたいと思います。

「AIが仕事を奪う」とはどういうことか

しばしば、「将来、AIに仕事を奪われる職業ランキング」というようなトピックスを目にすることがあります。しかし、そこには目を向けるべき疑問が絡んでいるのも事実。

そもそもテクノロジーの目的は、人の日常をより楽に、便利にすることにあります。すなわち、それまで人がやってきた作業と置き換えるために生まれたものだということ。

たとえば私たちが当たり前のように電卓を使用しているのも、電卓が便利だからにすぎません。したがっていちいち、「電卓に計算能力を奪われた」と悔しがることはないはずです。

なのになぜ、AIに限って「奪われる」という認識を強くするのでしょうか。そもそも、そこが間違っているのかもしれません。

AIは道具であり、その能力を発揮させるのは使う人次第である。AIの専門知識を持たずとも容易に利用可能な時代に突入しつつある状況のなかで、人がすべきことを、AIを道具として活用することで前に進めていけば、新たな可能性が見い出せる確度は高い。一方で、進まなければ現状維持となるだけであり、進む人々とそうでない人々との差がどんどん開いていくことになる。(118ページより)

このことに関連し、考えなければならないのは「私たち自身がAI化しつつあるのではないか?」ということだと著者は述べています。

日常生活において私たちが接する情報はあまりに多く、しかもそれらの大半は自分で選んだものではありません。プラットフォーマーの独自のアルゴリズムによって選別された情報なのですから、知らず知らずのうちに、偏った情報に接しているともいえるわけです。

ましてや、重要な判断を下すための時間も限られています。熟考する時間は与えられず、即断即決するしかなくなるということです。そのため最終的な判断は、じっくり考えた末のそれよりも質が下がることになるでしょう。

また、「注目されることに意味がある」という価値観が台頭してしまうと、本当に価値のある情報、本当に伝えられるべき情報が、“目立ちたいだけの表面的な情報”のなかに埋もれてしまいます。アクセス数が多いほど、承認欲求が高まるというように。

こうした状況をふまえると、人というものが中身のない表層的なシステムへと変貌しつつあるように感じてしまう。これでは入力に対して適当に出力を返す単純なシステム化である。AI化しつつあると言ったが、AIのような豊富な知識もなく、しっかりした文章を生成できるわけでもないとしたら、劣化したAI化である。これでよいわけがない。(120ページより)

しかもAIには、今後の技術の発展に伴って、豊かな感性や自ら考える自律性など、本来の人間が持つ能力を獲得できる可能性があります。そう考えただけでも、「これでよいわけがない」のは自明の理だといえるのではないでしょうか。(116ページより)

AIがまだ苦手とする「人間力」とはなにか

だからこそ、これまで以上に人間本来の能力である創造性や状況認識能力、共感力、感性、そして人とのコミュニケーションといった社会性を高めることが重要だと著者は訴えるのです。

重要なポイントは、それらは現在のAIがまだまだ苦手とする領域であること。

イノベーションを生み出すためのアイデアの種同士を繋ぐことでの新たな価値の創造は人にしかできないし、現在のAIは膨大な知識が詰め込まれているものの、五感を通してその場の状況を理解しての判断ができるわけでもない。社会性は人が生きるための根幹であり、社会性を持つアリにせよ魚にせよ、お互いが協調することで生存し続けてきた。(121ページより)

つまり必要なのは、お互いが自律性を持ち、自ら能動的に行動できる“自立行動主体”であること。そもそも生命とは、そのようなシステムでもあったはずです。

一方、現在のAIはまだまだ道具の域を超えていません。高い自律性を持つには至っていないため、人と足並みをそろえて豊かな社会性を構築する相手とはなり得ないわけです。そう考えると、自律性を備えた人間だからこそできること、すべきことの輪郭が明確になっていくことでしょう。

「AIができること」「まだ人にしかできないこと」「どのような課題があるか」「私たちが考えるべきこと」など、訴えかけたいことのほぼすべてを著者はここで言及しているそうです。AIについての知識を持たない人をも納得させる説得力を感じさせるのは、そのせいなのかもしれません。

Source: 角川新書

メディアジーン lifehacker
2024年11月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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