『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか 語り継ぎたい最高の歌い手たち』
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武部聡志 著/門間雄介 取材・構成『ユーミンの歌声はなぜ心を揺さぶるのか 語り継ぎたい最高の歌い手たち』(集英社新書)を松尾 潔さんが読む
[レビュアー] 松尾潔(音楽プロデューサー・作家)
名演奏・名曲の裏にはぞっとするほどの奥行きがある
苛烈な向かい風のなかにいた昨年の夏、同業者のほぼ全員がだんまりを決め込む一方で、ぼくを気遣って私信をくださる方もごく僅かながら存在した。その奇特なおひとりが武部聡志さん。「エールを送る音楽家も沢山いる事を信じていてください」というシンプルなメッセージの一言一句を忘れたことはない。彼の圧倒的なキャリアを知る身にはそれだけで十分だったから。
本書の冒頭、武部聡志という人物の特異さを的確に表現する文言が早々に登場する。「日本でいちばん多くの歌い手と共演した音楽家」。さよう、本書に登場する夥(おびただ)しい数の有名シンガー全員と仕事を重ねているのだ、この御仁は。
なかでも個人的に興味深かったのは、一青窈(ひととよう)デビューの裏話だろうか。歌い手が見つめる方向と本来の資質にふさわしい方向の違いをクールに見極め、丁寧に準備を進めていくさまには、敬服の念を抱かずにいられない。告白すると、ぼくも武部さん同様、デビュー前の一青さんのデモ音源を聴いたひとり。「声質とやりたい音楽が離れすぎ」という陳腐かつ偏狭な感想しか抱くことができず、手を上げなかったことを猛省しながら読み進めた。だが本書を最後まで読み終えて、やはり自分があのとき手を上げなかったのは正しかったと思い直した。なぜなら、仮に一青さんのデビュー曲がイメージできたところで、「もらい泣き」や「ハナミズキ」を超えるものになったとは到底思えないから。
では武部さんがあれほどの名曲たちをプロデュースできたのはなぜか。ヒントは、40年以上にわたり務めるユーミンのコンサートの音楽監督という仕事について語るくだりにあった。
「仮に間違いが起きても、僕らバンドが間違えたように見せる。フロントマンが間違えたようには決して見せない。それが音楽監督としての矜持です」。裏方の「裏」にはぞっとするほどのおそろしい奥行きがあるのだった。
松尾 潔
まつお・きよし● 音楽プロデューサー・作家