『多頭獣の話』上田岳弘著

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多頭獣の話

『多頭獣の話』

著者
上田 岳弘 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784065365021
発売日
2024/08/22
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『多頭獣の話』上田岳弘著

[レビュアー] 長田育恵(劇作家・脚本家)

奇妙な動画「彼」の真意は

 警鐘が鳴っている。日々SNSに触れ、流れる言葉に真偽不明の怖さを感じることも。一方、個としての自分をどうしたら捕捉できるか。社会や家庭、ネット上の承認など他者からの認定なくしては輪郭さえ失っていくかもしれない。本書に関して、書評とはいえ文字を選択し意味を限定することに躊(ちゅう)躇(ちょ)を覚えた。それほどに本作は、読者それぞれの日常や意識と結びついたパーソナルな体験をもたらすと思うから。

 IT企業で働く「僕」家(か)久(く)来(らい)の元に、奇妙な動画が届く。それは会社の元後輩でユーチューバーに転身した桜井君からだった。彼の一派はフォロワー4千万人を抱える世界でも影響力を持つ存在へと上りつめ、突如、動画を全削除してネットから消えたのに。「かくらいさん」「さくらいくん」と互いに呼び合う音はまるでアナグラムのよう。ウサギを追うアリスのごとく、彼の真意を探る「僕」は深(しん)淵(えん)へ誘われていく。

 そういえば動画もSNSも「言葉」と切り離せないものだった。彼と一派が作る動画には各人が演じるキャラクターや思想と相まり、ラップも含めた様々な種類の言葉が踊る。その中でかつて言葉や記号が、熱狂を煽(あお)り時代を変え、多くの命も奪った事実を思い出させるように、ナチス・ドイツのハーケンクロイツによく似た「卍」や学生運動の過激化を招いた「総括」などの単語も楔(くさび)のように打ちこまれていく。

 また作者が書き継いできたヴィジョンを更に展開させる「塔」や「穴」という単語も、非写実だからこそかえってリアルな皮膚感覚を炙(あぶ)る。「穴」の闇から、私はエコーチェンバー現象の体感も想起した。同方向を見る人がひしめく見せかけの地面の下は、底知れぬ闇が広がるのだ。

 今、表層的な繋(つな)がりやファンダムの狂騒が世間を動かし得る可能性を感じる。同時にかつてない分断に突き落とされている人類全体の孤独も。本書に描かれる「多頭獣」は神話ではない、この警鐘鳴る社会の行方を探る、人間の話だ。(講談社、2420円)

読売新聞
2024年12月6日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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