あさ酒、せんべろ、ジャンク飯の後はスイーツだ…自制心が木っ端微塵になる「おいしい小説」7冊 書評家・大矢博子がセレクト

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  • 最高のウエディングケーキの作り方
  • あさ酒
  • 赤羽せんべろ まねき猫
  • たい焼き・雑貨 銀座ちぐさ百貨店
  • 婚活マエストロ

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 クリスマスに忘年会、お雑煮にお節料理。

 この時期の何が怖いって、摂取カロリーである。自制しようと思っても、付き合いもあるしメディアは煽るし年中行事は無視できないし。何より美味しいし。美味しいものの前では自制心など木っ端微塵だ。

 ということで今回はカロリーを気にせずに味わえる、美味しいものが出てくる小説をどどんと紹介しよう。

 まずは古内一絵『最高のウエディングケーキの作り方』(中央公論新社)から。タイトルからしていきなりハイカロリーである。

 婚約者でパティシエの達也とパティスリーを開くため、勤めていたホテルを退社した涼音。ふたりの夢のはずなのに、両家の親は「内助の功」「達也を支える」という言い方をする。悶々としながら、いざ婚姻届を用意する段になって、なぜ世帯主も戸籍筆頭者も当たり前のように男なのかと疑問を持ち始め──。

 第二話以降は鈴音の元同僚や達也が視点人物となり、それぞれが「当たり前と思っていたこと」に向き合う物語が収録されている。特に印象深いのは、疑問を持つ人と持たない人の違いの描写だ。「持たない人」が少しずつ変わっていく。一方的に説得されるのではなく、悩んで考えて傷ついて、それでも自分の幸せの形を探そうとする姿が心地いい。

 主人公の夢がパティスリー経営ということで、出てくる洋菓子が軒並み美味しそうなことにも注目。アフタヌーンティーにはじまりクイニーアマンにサマープディング、最終話に登場するザッハトルテのウエディングケーキなんてもう!

 読んでて今すぐ食べたい飲みたい、と居ても立ってもいられなくなるのが原田ひ香『あさ酒』(祥伝社)だ。著者の人気シリーズ「ランチ酒」の朝食バージョンと思えばいい。

 誰かにそばにいてほしいという人を一晩見守る「見守り屋」で働き始めた恵麻。アプリで知り合った相手にインドカレーを作ったら連絡が来なくなった女性、依存症のためパチンコに行くのを止めてほしいという女性、見守り屋を頼んだのに自分は外出してしまう男性など、さまざまなクライアントと出会う。

 恵麻が恋人から婚約破棄された上に派遣切りに遭ったという設定がポイントだ。一晩だけの見守りで、相手の抱える問題が解決できるわけはない。けれどこの社会にはいろんな人がいて、それぞれ別のことで悩んだり喜んだりしているという人の営みに触れることで、恵麻も少しずつ再生していく。そんな恵麻のお楽しみが、仕事終わりの朝食なのだ。夜勤明けのようなものなので、朝だけどお酒も注文。生ハムに微発泡ワイン、鶏肉ピータン粥にビール、焼鯖定食に日本酒。何その幸せなラインナップ。たとえ仕事や私生活がしんどくても、美味しい朝食に美味しいお酒があればなんとかなるぞ。

 朝酒もいいけど昼酒も、できれば気のおけない飲み屋がいいなという人には坂井希久子『赤羽せんべろ まねき猫』(中央公論新社)がオススメ。せんべろというのは、千円あればべろべろに酔えるという安い飲み屋のことだそうだ。

 折り合いの悪い父と十年会っていなかった明日美のもとに、父が脳出血で倒れたという連絡が来る。父は赤羽で飲み屋をやっているが復帰は絶望的だ。ところが父の友人から、店の運転資金として三百万円を貸しており、店が続くなら返済は無期限で待つが閉めるなら全額返済と言われてしまう。仕方なく従業員やバイトの助けを借りて店を続けることにしたが、女出入りが激しくろくに愛情を向けてくれなかった父への複雑な思いは拭えず……。

 自分の嫌いな父が、近所の人には好かれているという状況がどうしても受け入れられない明日美。店を閉めるわけにはいかない別の理由が途中で明らかになるが、それもまた明日美の気持ちを逆撫でする。その気持ちがどう変化していくかが読みどころだ。どうしても埋められない穴や、どうしても乗り越えられない苦しみは、厳然として存在する。けれど少し心を柔らかくすることができれば、傷は癒えなくても受け入れることはできるのかもしれない。そう思わせてくれた。

 せんべろだけあって肴もチープだが、それがいい。モツ煮込みに、チャーハンの入ったいなり寿司。揚げない大学芋はぜひ自分でも作ってみたい。

 長月天音『たい焼き・雑貨 銀座ちぐさ百貨店』(ハルキ文庫)も、十八年会っていなかった祖母の店を孫娘の綺羅が継ぐ話だ。こちらは折り合いが悪いというより、大好きな祖母だったのに十八年前のあることがどうしても許せず、疎遠になってしまったケース。九十歳近い祖母の美寿々が長年ひとりでやってきたたい焼きと雑貨の店は綺羅も好きな場所なので、継ぐことに否やはない。けれど十八年ぶりに訪れてみれば、そこでは綺羅の知らない青年がたい焼きを焼いていた──。

 綺羅の話はもちろんだが、店を訪れる客たちの物語がいい。一点もののアクセサリーなのに同じものを二つ欲しがる女性や、つげ櫛を探す女性。特に毎年同じ日に数十匹ものたい焼きを買っていく男性の話は目頭が熱くなる。まさかそんなことになっていたとは!

 ここに描かれるのは、受け継いでいくことの尊さだ。誰かが愛したもの、誰かが大切に思っていること。それを守り、受け継ぎ、次代へと託す。人の寿命には限りがあるからこそ、受け継がれることの意味を感じずにはいられない。

 そして何よりこのたい焼きが! 皮が薄くて餡子たっぷりで、しかも尻尾のサプライズが美味しそうで仕方ない。これ市販のたい焼きの尻尾にアレを入れて温め直したら近いものができるのかしら。やってみたい。

 飲み屋よりもファミレス派の人には宮島未奈『婚活マエストロ』(文藝春秋)を。四十歳独身のウェブライターがひょんなことから婚活パーティの会社を手伝うことになる。時には参加者として、時にはスタッフとしてかかわる様子を描きながら、結婚相手を探す人たちの群像劇にもなっているという趣向だ。

 高齢者の婚活パーティでうまく自己アピールできない男性、自分の世界を邪魔しない相手を探している女性、婚活バスツアーでどの席に座るかの駆け引きなど、一話ごとにドラマがあって面白い。

 この連作にやたらと出てくるのがサイゼリヤである。とある事件の現場になったり、理想の結婚相手が「いっしょにサイゼリヤに行ってくれる人」だったり。主要人物がサイゼリヤでミラノ風ドリアとタラコソースシシリー風を食べながら昔話をするなんて、情景と味が浮かんでくるじゃないか。

 と、ここまでは辛い出来事があっても美味しい食べ物が気持ちを癒してくれる物語だった。しかし食べ物は時として呪いにもなる。それが一穂ミチ『恋とか愛とかやさしさなら』(小学館)だ。

 婚約者が盗撮で捕まるという衝撃的な事件で物語が動き出す。カメラマンの新夏は、婚約者の神尾が電車で女子高生のスカートの中を盗撮したという事実をどう考えればいいのかわからない。許すことはできないが、婚約破棄を決意することもできないのだ。

 この話において興味深いのは、二人より周囲の人々がこの事件をどう捉えているかの描写である。神尾は性格も条件もいいんだから目を瞑って結婚しろという友人がいる一方で、幼い娘を持つ神尾の姉は絶縁する勢いで新夏にも婚約解消を勧める。被害者の女子高生はどんな罰を与えたいかと問われ「死刑か去勢」と言い放つ。もう絶対しない、許してくれるなら何でも言うことをきくという神尾だが、新夏が性犯罪者のカウンセリングや自助グループを薦めると強く反発する。怖いのは神尾の母だ。示談で済んだことを喜び、あっさりと「なかったこと」にするのである。

 これが殺人や強盗なら、ここまで考え方が割れることはないのではないか。性犯罪というものに対する認識のズレが本書の核だ。自分ならどう感じるか、自分に近い登場人物を探してみていただきたい。

 美味しいものはどこに出てくるかって? 神尾の母が栗の渋皮煮や枇杷や苺のジャムなどを手作りする人なのである。それを息子や新夏に持たせる、というか押し付ける。息子の犯罪をなかったことにして、さっさと日常に戻っていることの象徴だ。そんなジャムを貰うのって逆に怖いし重い。美味しいものは幸せに食べたいよ。

 ジャケ買いならぬタイトル買いをしてしまったのが、森晶麿『名探偵の顔が良い 天草茅夢のジャンクな事件簿』(新潮文庫)である。顔が良いって!

 炭水化物と脂質の背徳感たっぷりのカロリー爆弾、いわゆるジャンク飯が大好きな潤子が主人公だ。仕事先で謎めいた事件に巻き込まれ、事情聴取後に入ったジャンク飯屋で、運命の出会いがあった。潤子が王子と呼んでいる推しの俳優がその飯屋にいたのである。しかもそれ以降、潤子が事件に遭うたび、王子が鮮やかに事件の謎を解き──。

 密室だの見立てだのダイイングメッセージだの双子だの霊媒師だの奇術師だのと、ミステリの方もジャンクに盛りだくさん。しかもヒントもたっぷり。だが軽めのグルメミステリだと思っていると足をすくわれる。そもそもなぜ潤子はそんなに殺人事件に遭うのか? 見切ったと思った真相が鮮やかに反転する。

 あさ酒からジャンク飯までよりどりみどり、あなたはどれを食べ……じゃなかった、読みますか?

角川春樹事務所 ランティエ
2024年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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