『はじめての近現代短歌史』
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<書評>『はじめての近現代短歌史』髙良真実(たから・まみ) 著
[レビュアー] 土井礼一郎(歌人)
◆歌が生まれる必然 過不足なく
著者は歌壇の若手きっての資料探索家として知られている。巻頭言で短歌史について「これまで多大な気力と体力とお金を投じて学んでいくものであった」と総括。そんなことあえて言わないのが旧来の美学だったのだが、著者一流の開放的な筆致は短歌史をすべての読書人共有の財産に仕立て上げる。
本格的な通史解説に入る前に「第一部 作品でさかのぼる短歌史」が置かれていることもユニークだ。「二〇二一年以降の短歌」から「一九〇〇年代の短歌」まで10年ずつさかのぼるかたちで、時代を代表する数首を解説していく。弟子入りのつもりで短歌史研究室を訪ねると、部屋の主はあいさつもそこそこに、君、ちょっとこれをご覧なさいと、ひきだしから次々歌を出して見せてくれる。そんな感じだ。
第2部の通史的解説に入っても、背後の人間関係より、歌がみずから前面に出て語り出すような調子は一貫している。現代の口語表現に慣れた読者には難しく思われがちな明治・大正の短歌も髙良が引用するとどれも不思議と輝いて見える。「時代の色眼鏡」という言い方を著者はするが、そんな歌が生まれる時代の必然を過不足なく解説してくれるおかげであろうか。
しかし短歌史家としての髙良の本領発揮は「九〇年代~ゼロ年代」「テン年代以降」の短歌史を語るパートであろう。これまで通史的には語られることのなかった新しい時代の動向を、参照すべき書籍や雑誌記事まで紹介しながら、「女歌論」やフェミニズム、東日本大震災以後の当事者性や虚構性を巡るデリケートな論議を主軸に丁寧にまとめあげた。
2015年の発表時、あまりの難解さが波紋を広げた服部真里子の「水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水」をキリスト教の文脈を用いて鮮やかに読み解いたのにも一驚した。一首一首の歌を見る目が積み重なって、この書名がまったくもってふさわしい短歌史の新たな必携書になった。
(草思社・2530円)
1997年生まれ。歌人・文芸評論家。現代短歌評論賞などを受賞。
◆もう1冊
『短歌タイムカプセル』東直子ほか編著(書肆侃侃房(しょしかんかんぼう))。戦後~現代の短歌アンソロジー。