『本居宣長』
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『本居宣長 天地万物、皆吾ガ賞楽ノ具ナルノミ』田尻祐一郎著
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
カミも「物」 中心に秩序
忙しいと本が読めなくなる。世事に追われて歌会に出席できない悩みを歌にした門下生に対して、国学者、本居宣長はこんな歌を返した。本書が紹介する印象ぶかい出来事である。
身をなけく袖の涙のやかて又それも言葉の玉はなしけり
他人が見たら、家業の余暇にやっている和歌になぜ執着するのか不思議かもしれない。だがそんな悩みも、本人にとっては泣くほどつらい。その思いを歌の言葉にのせること。そして読む側が、歌の言葉を「玉」すなわち一種の「物」として鑑賞し、その「風雅」の趣きを通じて、作者の「人情」に深く共感すること。それが宣長が歌論・物語論で説いた態度だった。
近代の文芸論にも通じるようなこうした議論と、宣長が主著『古事記伝』などで示す、「神」の道や、「皇(み)国(くに)」の優越性をめぐる議論とはどうつながるのか。本書は、目に見える物体から、出来事一般までを広く含む「物」という概念に、疑問を解く鍵を見いだす。
神話から心の修養の言説を読み取る、一般の神道思想を宣長は批判し、カミもまた、畏怖すべき威力を放つ「物」だと明らかにした。そして、天地のうちに存在する自然環境や動植物、そしてすべての人間が、それぞれの「物」として現にそのようであることの不思議さ。それに驚く感覚を、宣長は『古事記』から見いだした。
そうした「物」として人々が生き続けていることの中心には、太陽すなわち天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫が君臨するこの国の秩序がある。なぜなら天地のすべてが原初のカミの威力によって作られ、天照大神がその生成の営みを継いでいるのだから。――結論としては奇妙でありながら、読むとなぜか説得されてしまう、宣長の思想。その全体構造が、本書の叙述を通じてようやく見えてきた。(ミネルヴァ書房、4180円)