『「戦後」を読み直す』
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『「戦後」を読み直す 同時代史の試み』有馬学著
[レビュアー] 清水唯一朗(政治学者・慶応大教授)
時の変遷 生活者視点で
年が明けると、戦後八十年の節目を迎える。いや、八十年目がやってくるという方が実感に近いだろうか。もはや戦前より長くなった戦後を、私たちはまだ抜け出せずにいる。もしくは、よくわからないうちに抜け出している。
そのためだろう。なんとか戦後を掴(つか)み、次に歩を進める試みが目についた。なかでも本書はひときわ異なる存在感を放つ。歴史学者として丹念に史料に向き合いつつ、同時代人として時代を懐かしむことに加えて、生活者として歴史を捉えなおす試みであるからだ。
一九四五年に生まれた著者が影響を受けた本を読み直していく。国語の教科書、反戦運動(むのたけじ)、サラリーマン小説(江分利満)、『暮しの手帖』、テレビ、韓国(関川夏央)、クルマ(徳大寺有恒)ときて、最後に山田風太郎日記が現れる。それぞれが自分の現在と過去の視点に立ちつつ、父、母、友人、隣人、消費、生活を通じて、自らが生きてきた「戦後」という時間の変遷を映す鏡となっている。
そう、本書は個人の経験に過ぎないとする向きもあるだろう。では、なぜ熟練の歴史学者である著者がこの方法を選んだのか。それは、喪失や放心、食糧難や闇市、憲法や平和主義といった自明の思考様式とは異なるかたちで、共通の言語で語ることのできる場に「戦後」を引き出すためであるという。
著者は自らのなかで骨がらみ血肉化された「戦後」の価値観が、ときに強化・再建されながら、長い時間をかけて解体されていく過程を示した。それは自明の枠組みが力を失うなかで生きるわたしたちに、自らの歩みの読み直しを促す。
本書の校了とほぼ時を同じくして、著者は師の訃(ふ)報(ほう)に接し、雑誌に追悼文を寄せている。そこには自明の構造が失われたあと、どのように歴史を描くかという宿題が示されていた。本書はその応答のはじまりなのだろう。(中公選書、2090円)