<書評>『話はたまにとびますが 「うた」で読む日本のすごい古典』安田登 著

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話はたまにとびますが 「うた」で読む日本のすごい古典

『話はたまにとびますが 「うた」で読む日本のすごい古典』

著者
安田 登 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784065370704
発売日
2024/10/24
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『話はたまにとびますが 「うた」で読む日本のすごい古典』安田登 著

[レビュアー] 渡辺祐真(文筆家)

◆秘められた魔力解き放つ

 しばしば歌や踊りは魔術的なものだと言われる。確かに、古くは祝祭や式典で神に仕える巫女(みこ)や神官が歌や踊りを実践していたらしいが、現代の我々にはちょっと実感しづらい。そんな歌や踊りの持つ魔力を、和歌や能といった実例、語源や科学といったあらゆる根拠などによって解き明かしてくれるのが本書だ。著者は日本古典のみならず、海外の古典や言語にも通じた能楽師である。

 著者によれば、日本語や日本古典は地名を大事にするという。鎌倉や江戸など時代区分を地名で表すし、歌枕という和歌でよく詠まれる名所まである。その理由を、土地や言葉が歴史を記憶するからだと述べる。人間個人は数十年しか生きられないが、彼らの行いは伝承や歴史になって蓄積されていく。それこそが名所や言葉だ。つまり歴史的な事件が起きた場所には他の人々も引き寄せられるし、言葉は人々によって使われる度(たび)に新しい意味や使用例を帯びていく。そう、場所や言葉には過去が宿っているのだ。したがって、歌枕を訪れること、人々に読み継がれた和歌を詠むことは、それを解放することにほかならない。実際、枕の語源は、かつて巫女が神霊に乗り移られるために眠る際に用いた装置だったそうだ。

 だがそうは言っても、本当に霊を降ろせるわけではない。そこで重要なのが言葉、そして声だ。よく和歌に詠まれる「逢坂(おうさか)の関」という地名は、特定の場所を表すと同時に、「逢(あ)ふ」という男女の関係を掛詞(かけことば)で含意し、それが関によって阻まれる虚(むな)しさの象徴ともなっている。それらを知った上で、逢坂の関が含まれた和歌を声に出して読み上げてみると、音読のゆったりとした時間の流れの中で、そこに込められた情景や感情、過去の事件が頭に去来するのだ。目の前の景色、言葉の表面的な意味に、過去の様々(さまざま)な景色が重なる、さながら拡張現実(AR)のようである。これこそが歌やそれをうたう能の魔力なのである。本書ではそうした歌のメカニズム、それを実践した歌人や能がたっぷり語られている。

(講談社・1980円)

1956年生まれ。能楽師のワキ方として活躍。著書『野の古典』など。

◆もう1冊

『英語で古典 和歌からはじまる大人の教養』ピーター・J・マクミラン著(KADOKAWA)

中日新聞 東京新聞
2024年12月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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