『愚者と民衆文化 中世フランスの歴史人類学』蔵持不三也著
[レビュアー] 小池寿子(美術史家・国学院大客員教授)
「暗黒の時代」に笑いの力
ヨーロッパ中世は暗い。泥まみれの人々が血みどろになって戦い、手づかみで肉やパンを貪(むさぼ)り食う。この泥土のようなイメージは、中世を近づきがたい世界にしている。しかしそこは、笑いとパロディーの民衆エネルギーで満ちていた。本書は、長年、一貫して民衆文化に焦点を当ててヨーロッパの基層をあぶり出してきた著者による愚者論である。
中世から近世にかけてのフランスで、町から町へ、城から城へ遍歴した旅芸人や踊り子、放浪学生や道化など、キリスト教的人間観からはみ出した「愚者」たち。彼らは定住社会に与(くみ)せず、その周縁で社会の秩序を攪(かく)拌(はん)して活性化し、日常を祝祭化するいわばトリックスターであった。何よりその特徴は、笑われる存在であり、かつ笑わせる存在であることだ。風刺や諧(かい)謔(ぎゃく)によって集団的な笑いを呼び起こし、社会の潜在的な愚性をあらわにさせ、不平等や階級制といった慣習に対して意識改革をも促す存在だった。
民衆文化の研究は難しい。年代記など公的な記録には記載されない過去の民衆については、生まれ住んだ土地ならば伝承された話を聞き、現存する祭りなどを見て想像はできる。しかし、ヨーロッパの中世となると、私たち日本人にはまったく未知の世界だ。この民衆文化を掘り下げるには、土地に残る古文書を読む、公的記録から類推するなどの研究をする一方、現地調査、聞き取りも必須だ。文字資料も地域によって年代に偏りがあるため、現地調査も土地勘と体力を要する難業だ。著者はこの二つの方法を駆使して、民衆文化の仕掛け人である愚者の多種多様な実態を浮き彫りにしてゆく。
愚者たちが仕掛けた笑いとその意味は何であったのか。放(ほう)埒(らつ)でグロテスクな笑いをなぜ社会は必要としたのか。
キリスト教権力が支配すると捉えられがちな一元的ヨーロッパ社会。膨大な原資料を詳細に分析解釈する方法論により、その深層でうごめく民衆文化が鮮やかに浮かび上がる。混迷の政治情勢の中で笑いと娯楽を求める今日の社会を考えるヒントにもなろう。(柊風舎、7150円)