『ミュージカル映画が《最高》であった頃』
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<書評>『ミュージカル映画が《最高》であった頃』喜志哲雄 著
[レビュアー] 長谷部浩(演劇評論家)
◆言語芸術としての価値吟味
ミュージカルには、偏愛を呼び覚ます力がある。
舞台ではキャストを変えた上演も行われ、観客は何度も劇場に通う。映画は、映像を購入して、同じ作品を繰り返し観ることができるようになって久しい。強烈な魅力がある。
英文学者の喜志哲雄は、ハリウッドで作られたミュージカル映画の1940年代、50年代を「《最高》であった頃」としている。ならば、この時代に作られた名作を網羅して扱っているかというと、そうではない。
喜志の関心は、フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドに絞られている。アステアの「トップ・ハット」、ケリーの「雨に唄えば」、ガーランドの「オズの魔法使(つかい)」のような代表作ばかりではない。この3人については、お互いの共演作を含めて、ほぼすべての作品の価値を吟味し、その独自性を明らかにしようとしている。
一方、喜志はそれぞれの作品の難点を指摘することをためらわない。その基準も確固たるものだ。ミュージカルを歌と踊りのエンターテインメントとして片づけるのではなく、ストレートプレイ(いわゆる演劇)と同様、言語芸術としての価値があるかを検証する。全体のシナリオのなかで、歌と踊りが、しっくりと溶け込んでいるかが重要だと考えている。そのため、歌詞と曲の持つ意味も、なおざりにせず、個々の映画の筋を執拗(しつよう)なまでに語っている。文学性を重く見ている。例外は、喜志が晩年のガーランドのコンサートをカーネギーホールで生で観た経験を語る第四章の冒頭だろう。
私がひかれたのは、アステアとジンジャー・ロジャーズが共演した10本について熱く語る第三章である。アステアを「幼稚な芸術にすぎなかったミュージカル映画を大人の鑑賞に堪えるものにした」と評価し、最も重要な協力者としてロジャーズを位置づける。歴史的な意味ばかりではない。銀幕のなかで踊るふたりへの偏愛が感じられた。
(国書刊行会・3300円)
1935年生まれ。京都大名誉教授・英米演劇。著書『英米演劇入門』など。
◆もう1冊
『フレッド・アステア自伝』フレッド・アステア著、篠儀直子訳(青土社)