三国時代に一国を滅ぼした隕石やフィラデルフィア実験を盛り込む…戦闘シーンや頭脳戦も面白い伝記小説などエンタメ作品8冊を文芸評論家が紹介

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  • 落としの左平次
  • 金貸し同心
  • 龍女の嫁入り 張家楼怪異譚
  • 異端考古学者向井幸介 1994年の事件簿
  • 憧れ写楽

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ニューエンタメ書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

文芸評論家の末國善己さんが、時代小説から中華ファンタジー、伝記小説などおすすめのエンタメ作品8冊を紹介。

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 二〇二五年の最初ということで、まずはシリーズに発展しそうな作品の第一巻を四作まとめて紹介したい。

『侠』で第二六回大藪春彦賞を受賞した松下隆一の『落としの左平次』(ハルキ文庫)は、今は町人だが元は凄腕の廻り方で、拷問せず自白を引き出すため「落としの左平次」と呼ばれていた男の下で修業するよう命じられた一八歳の同心・佐々木清四郎の成長を描いている。

 商家で奉公していた娘が首を吊った状態で見つかる「二人の神さま」、盗賊改の中でも武術の腕が随一の同心が盗賊の頭に殺される「清四郎の恋」、殺人事件と富札の関連が浮かび上がる「千両殺し」は、異名そのままに左平次が関係者から話を聞くことで物語が進む。証言を組み合わせ意外な真相を導き出すミステリ、事件を通して人情の機微を描く市井もの、左平次と清四郎が舌鼓を打つ江戸グルメものなど、エンターテインメント時代小説のあらゆる要素が詰め込まれた贅沢な一作となっている。

 伊藤尋也『金貸し同心』(ハルキ文庫)は、旗本の嫡男だったが不正を密告して居場所をなくし、町奉行所の廻り方同心の養子になった佐々木辰ノ輔を主人公にしている。辰ノ輔は本庄茂兵治の下で見習いをするのだが、吾妻橋だけを縄張りにする茂兵治は裏で高利貸をしていて“銭もへ”の異名を持っていた。常連が姿を見せないことから茂兵治が事件の存在を見抜く「つげぐち辰輔」。借金のカタに取った顔に痣のある娘を茂兵治が夜鷹にしようとする「銭おんな」は、残酷な発端が思わぬ結末に繋がる意外性があった。辰ノ輔と茂兵治が父の仇を捜している男にかかわる「あだうち質流れ」は、善悪の構図が二転三転するのが面白い。守銭奴ゆえに、金が人を変え世を動かす仕組みを熟知している茂兵治が、悪を懲らしめ、人助けをする展開は、金に使われるのではなく金を有益に使うには何が必要なのかを教えてくれるのである。

〈後宮の烏〉など文庫の人気シリーズを発表している白川紺子の初の単行本『龍女の嫁入り 張家楼怪異譚』(集英社)は、唐代を舞台にした中華ファンタジーである。成都随一の高級旅館で楼閣を備える張家楼は、絹問屋などを営む豪商・張家の末息子で二三歳のえんけいが営んでいた。幼い頃から病弱なえんけいは、売卜者に幽鬼妖魅を引き寄せる体質といわれる。その売卜者を道士と考えたえんけいの父が助けを求めると、霊薬を出してくれた。さらに道士の娘とえんけいの結婚話が持ち上がる。道士の娘・小寧は龍王の血を引き、めったな幽鬼妖魅は近づいてこないという。道士が隴西の李氏の出とされ、虎に食われ、生者を数名、己を食い殺した虎に献上しなければあの世にいけない幽鬼に対処する第一章は、中島敦「山月記」へのオマージュだろう。その後もえんけいと小寧は、死んで幽鬼になった暗殺者、商売に失敗し妻が間男と逃げたため首を吊った男、死んだ後も使役される娘などの怪異を解決しようとするが、事件に挑むことで人間の夫と異類の妻が夫婦仲を深める恋愛小説としても楽しめる。

 東郷隆『異端考古学者向井幸介 1994年の事件簿』(星海社FICTIONS)は、一九九四年を舞台にした伝奇小説である。非正規で発掘を請け負う考古学者・向井は、大学の考古学研究室から、発掘部門がある地質調査会社に出向している友人の塚口に緊急発掘の手助けを頼まれる。だが塚口が何者かに殺され、向井も自宅を荒らされ命を狙われた。塚口の残したメッセージにあった太安近を訪ねた向井は、安近と秘書の一ノ瀬阿礼と共に敵の襲撃をかわしながら、真相を追っていく。

 博覧強記の著者が、中国の三国時代に一国を滅ぼした隕石、日本の神話と古代史、神社に祀られた様々な神々、性器信仰と鍛冶技術の意外な関係などの歴史学、宗教学、民俗学から、オカルト好きが喜びそうなフィラデルフィア実験や人工地震といった疑似科学、陰謀論までを圧倒的な情報量で語っていくだけに、知的興奮が満喫できる。リアルな戦闘シーンや、敵を出し抜く頭脳戦もサスペンスいっぱいに描かれており、ページをめくる手が止まらない。ラストには、物語の舞台が一九九四年でなければならなかった理由も明かされるので、虚実の皮膜を操る手腕と緻密な計算に驚かされる。

 江戸の出版人・蔦屋重三郎(蔦重)を主人公にした二〇二五年のNHK大河ドラマ『べらぼう 蔦重栄華乃夢噺』がスタートする。既に『蔦屋』を発表している谷津矢車の『憧れ写楽』(文藝春秋)は、蔦重が手掛けた東洲斎写楽とは何者かに迫っている。写楽は長く謎の絵師で、その正体は多くの作家が挑んだ歴史ミステリの激戦区だった。近年は徳島藩蜂須賀家お抱え猿楽師・斎藤十郎兵衛が定説化しているが、本書は十郎兵衛説を採りながらも一捻りを加えている。老舗の書肆を営む鶴屋喜右衛門は、幕臣で狂歌師の唐衣橘洲に頼まれ、十郎兵衛に「三代目大谷鬼次の江戸兵衛」の肉筆画を依頼した。なかなか絵が描けない十郎兵衛は「江戸兵衛」は自分の作ではないと告白。喜右衛門は、もう一人の写楽を探し始める。喜右衛門の調査によって、幕府の統制による出版不況(理由は異なるが現代の出版関係者は身につまされるだろう)、絵師、戯作者、歌舞伎役者らの苦悩などが浮かび上がってくる。何より蔦重の出版人としての才覚や寛政の改革を皮肉った反骨精神が縦横に描かれ、大河ドラマの予習に役立つはずだ。なぜ蔦重は写楽を謎の絵師にしたのか、もう一人の写楽は誰でなぜ表に出さなかったかの謎解きは、ミステリとしても秀逸である。

 水生大海『その嘘を、なかったことには』(双葉社)は、最後に切れ味鋭いどんでん返しが炸裂する短編五作が収録されている。帰宅した滝口が自宅リビングで男の死体を発見するも警察は空き巣の急死と判断する「妻は嘘をついている」は、妻と被害者の浮気を疑う滝口が、妻が男を殺し空き巣に見せかけた疑惑を調べる。鳴かず飛ばずの女優が、マイナー時代からファンだった人気バンドのミュージックビデオに出演してからネットでバッシングを受けるようになる「まだ間にあうならば」は、女優が自分を執拗に狙う人物を探すことになる。「三年二組パニック」は、高校の卒業式の直前に三年二組の誰かが誰かに仕返しするとの噂が流れ、担任教師が過去の生徒間トラブルを調べていく。家庭、推し活のコミュニティ、教室といった身近な場所で疑心暗鬼が渦巻くだけに生々しく、周到な伏線から作られるどんでん返しは読者の思い込み、偏った見方も覆すので衝撃も大きい。

 人生はいつからでもやり直せると教えてくれるのが、金原ひとみ『ナチュラルボーンチキン』(河出書房新社)である。平木直理(開き直り)、かさましまさか(回文)なる登場人物がいるなど全体にユーモラスで、著者の遊び心を探しながら読むのも一興だ。大手出版社の労務課で働く四五歳独身、毎日同じ時間に出勤退勤し同じような食事をするだけで、家族も友人もいない慎ましく規則正しい生活を送る浜野文乃は、スケボーで転んで捻挫し在宅勤務中の文芸編集部の平木直理の様子を見に行くよう頼まれる。病院、会社ではなくホストクラブに通い、自宅のバルコニーで全裸でワインを飲む平木は、きちんと仕事をしているので身体が会社に拘束される必要はないという。平木に誘われた浜野は、バンド・チキンシンクのライブに行った後に二人で居酒屋で飲んでいたが、そこにチキンシンクのメンバーが合流。浜野は、自由奔放な平木、ボーカルのかさましまさかとの仲を深めることで、少しずつ変わっていく。浜野がルーティーン生活を送るようになった理由が他人事ではないだけに、変化のない日々を見直し、四〇代に相応しい仕事の仕方、友人関係、恋愛を模索し自分をアップデートするプロセスには共感も大きいだろう。浜野と同世代より上の読者は、新たな一歩を踏み出す勇気がもらえるのではないか。

 野崎まどの四年ぶりの新刊『小説』(講談社)は、なぜ小説を読むのかを突き詰めており、一年の最初に読んで欲しい作品である。野心家の医師で総合病院の婿養子になった父を持つ内海集司は、教育熱心な父から知育玩具を与えられて育ち、五歳の時に太宰治『走れメロス』を読んで父が喜んだことで、読書に熱中する。当初は父を喜ばすための読書だったが、次第に集司は物語に魅了されていく。一人孤独に本を読んでいた集司だが、小学六年生の時に司馬遼太郎『竜馬がゆく』を貸したのを切っ掛けに外崎真と親しくなる。小学校の隣には、ペンネームも発表した作品も秘密にしている謎の小説家が住む屋敷があり、そこに潜入した集司と真は「髭先生」と呼ぶようになった作家から屋敷にある本を自由に読んでいいといわれ、入り浸るようになる。本に囲まれ読書に耽る二人の幸福な毎日は、読書好きなら憧れてしまうだろう。高校生になり読書にのめり込み留年しそうになった真は、担任に小論文コンテストで入賞すれば進級を認めるといわれる。これで書くことの楽しさを覚えた真は作家を目指すようになり、真の才能を認めた集司はアドバイザーのようになるが、ある時、真が集司は書かないのかと聞いたことで二人の間に亀裂が入ってしまう。

 小説も本の感想も書くことを拒み、純粋な読書を至高と考える集司を見ていると、小説を論じる仕事がどれほど不純かを突きつけられているように感じた。大学卒業後も定職に就かず、書店でアルバイトをしながら読書の時間を作っている集司は、ただ読書をするだけではダメなのかを考え抜くが、その思索は宇宙論、進化論、ケルト神話などもからむ壮大なものになり、なかなか着地点が見えない。謎だった「髭先生」の正体が判明し、(思索の意味でも、物理的な意味でも)長い旅を経験した集司が見いだした結論は、読書が好きなら心に響き、これからの読書生活を間違いなく豊かにしてくれる。

角川春樹事務所 ランティエ
2025年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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