養老孟司さんが指摘する「日本で防衛力を強化する」次のタイミングとは? 「わかっていないことがわかる」養老さんの魅力を南伸坊さんが語りつくした
レビュー
『人生の壁』
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南中坊として 南伸坊
[レビュアー] 南伸坊(イラストレーター、エッセイスト)
南伸坊さん(左)と養老孟司さん(右)
『バカの壁』で知られる養老孟司さんとイラストレーター・エッセイストの南伸坊さんの付き合いは長くて深い。かつて南さんは養老さんのコスプレを披露したこともあるくらいだ。
そんな関係性にあってなお、養老さんの本を読むと新たな発見を得る、と南さんは言う。新著『人生の壁』についてのレビューをご紹介しよう(文中の引用はすべて同書より)。
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南中坊として 南伸坊
養老先生は、学生の頃に家庭教師をされていて、代数のわからない中坊の子どもを、何人も教えられたそうです。
私は、養老先生に「代数を教えてもらいたかったなあ」と思います。どうしてかというと学生だった養老先生は、代数がわからない子どもが、どうしてわからないのかを考えて、そのわけをわかって教えられていたからです。
ふつう、数学の先生は、そのように教えません。こういうことになっている、つべこべ言ってないで、そのように覚えなさいというでしょう。
子どもが、なんでつべこべ言うのかわかっていないからです。
代数は日常言語とは「まったく違うコトバ」なのだということを、ひとこと教えてもらったら私も、その新しいコトバを覚えてみようと思ったに違いない。
と、いまの私は考えるんですが、どうかな? そんなにカンタンではないか……とも思います。私は代数が苦手でした。
私は、養老先生の本を、とても素直に読む読者だと思います。読みながら「そうかな?」とか「どうしてそんな風に考えるのかな?」とか思ったことがない。
しみ込むように納得します。それは、先生が話をむずかしくしないからです。でも、そのむずかしくない言い回しの文章を、むずかしくとる読者もいるのではないか。そういう人は、予め「自分の考え」を持っているからなんだろうと私は思います。
先生の話はしばしば世間の常識に反する。
「ともすれば、世の中は生来IQの高い子どもにばかり注目しがちです。しかし、そういう子供は勝手に成長して、自分が何かやりたいこと、やるべきことを見つけることもできます。適度に放っておいたほうがいい」
世間では、教育に差別があってはいけないというのが常識で、理解の早すぎる子どもと、理解の遅すぎる子どもには結果的に目をつむり、理解の普通な子ども中心に授業を進めます。
平等主義の一律の教育です。
ですから「授業がおもしろい」と、子どもに平等に感じさせるためには、理解の早すぎる子ども、理解の普通なこども、理解の遅すぎる子ども、それぞれを別々に教えるべきだ。と私は考えているので、結果として養老先生の常識に反したように聞こえる言い回しに、とても納得するわけです。
「子どもは好きに遊ばせるに限ります」
「棚からぼたもち、ということわざが、最近の若い人に好まれていると聞いた。これは本質を見抜いている。努力がすべてではない。なるようになる、です」
というのも、教育論としては非常識ではないでしょうか?私は大賛成です。
「現在の官僚や政治家に武士道に匹敵する規範が」あるか?あるべきでしょう。
と、いきなり引用すれば、これも非常識な意見だと思われる人もいるのじゃないか?
しかしだんだんに読んでいけば、あるいは構えずに素直に読んでいったなら、とても納得のいく考え方だと思うはずです。