『耳に棲むもの』
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『耳に棲むもの』小川洋子著
[レビュアー] 奈倉有里(ロシア文学研究者)
探り当てる音 連作小説
五つの短編からなる連作小説。主人公は補聴器のセールスマンだが、彼は冒頭ですでに遺灰になっており、翌日には墓に入る予定である。その娘のところに主人公が信頼していた近所の耳鼻咽喉科の老院長がやってきて、骨壺(こつつぼ)から四つのかけらを取り出す。「耳の骨ですか?」と娘が尋ねると、院長は「正確には骨ではありません。耳の中に棲(す)んでいたものたち、と言えばよいでしょうか……」と答える。
これはなんだろう。「耳鳴りがひどかった」というから、その正体となるものだろうか。しかし彼は耳鳴りを苦にせず、「内側で鳴っている音の方に耳を傾けている方が、心が落ち着いたよう」だという。なぜ音が、どんな音がしていたのか。もうひとつ謎がある。彼はいつもクッキーの空き缶を持ち歩いており、カラカラと音がしていた。この缶はなんなのか。考えを巡らせながら、読者は彼の人生の断片を追っていく。
まず、カメラを持った少年が彼に目を留める。ビー玉や木の実やビールの王冠などが入っているクッキーの缶に、さらに砂場に埋まっていたダンゴムシの死骸を追加するのを見て、補聴器と何か関係があるのか不思議に思った少年が尋ねると、彼は「忘れられたものたちと一緒に補聴器を売り歩いている」のだと答える。
語りはときに静かでときに景気よく、鮮明に浮かぶ場面も、おとぎ話のような展開もある。
読み進めるうち、幾多のさりげない細部が呼応していく。特に注目したいのが「息を吹き込む」という行為だ。耳鼻科医のくれた鼻笛、収穫祭の縦笛演奏家、「息を吹き込むように」耳と耳を合わせる、という不思議な比喩。ラッパ、ほら貝。物語の歩みが、主人公にとって「吹き込む」ことの原点に向かっていくのがわかる。吹く、鳴らす、聴く。補聴器の誠実な売り手であった彼は、忘れられたものたちが奏でる音も常に聴いていた。生きる、死んだ、すべてのものの微(かす)かな音を探り当てていくような小説だ。(講談社、1980円)