『入門講義 現代人類学の冒険』
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『入門講義 現代人類学の冒険』里見龍樹著
[レビュアー] 奥野克巳(人類学者・立教大教授)
思索揺さぶる現地調査
フィールドワークが広く行われるようになった今日、人類学者が調査で遠く離れた場所に出かけることは、もはや時代遅れではないか? 否、そういう意見には賛成できない。遠い地では揺らいだ状態で思考できる。著者は、人類学はその特別な体験を手放すべきでないという。
メラネシアのマライタ島近くで珊瑚(さんご)の欠片(かけら)を積み上げた人工島に暮らすアシの人々のもとでフィールドワークを始めた著者は、隣村の見知らぬ男と出会う。調査中だと言うと、驚いたことに男もまた調査をしているという。海面上昇で土地が不足し、土地権取得を目指して故地を探すために、長老たちから言い伝えを集めることが、そこでの調査と呼ばれる。
アシは何百年も変わらない伝統文化の中に暮らしているのではない。探らねばならないのは、常に変容し続ける運動体としての文化である。著者は、文化を固定的なものと捉えてきた従来の人類学を批判的に検討した上で、人々の振る舞いに驚きながら文化の「いま」に接近する。
本書はまた、自然を人類学の重要なテーマとして位置づける。人類が地球環境を激変させた「人新世」の時代、自然には人類学の文体を変えて取り組まねばならないという。
今日、アシは科学的見地から気候変動による海面上昇の被害者とされる。他方、アシは人工島の下で岩が生きていると信じており、それが死ぬと島が沈むという文化的信念を持つ。科学を背景として、文化を論じるだけの古い人類学から脱却しなければならない。
科学者たちは現在、水温上昇による珊瑚礁の壊滅に介入し、人工珊瑚の群体を作って生態系を再生させようとしている。人工の珊瑚はもともと海から採取されたものであり、自然とも人為ともつかない中間的な産物である。著者は、人々が直面する困難に寄り添い、科学と文化を対称的に扱い、人為を再び自然の中に溶け込ませるべきだと考えている。
遠い地で出会う思いがけない出来事に揺さぶられながら、もともと自分が考えてもいなかった問いを発見し、思索を深める現代人類学の冒険へと読者を誘う。(平凡社新書、1210円)