『リーダーの言葉力』
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【毎日書評】「正義には自己犠牲がともなう」|やなせたかし氏がアンパンマンで伝えたかったこと
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
なんらかの困難と向き合わなければならないときや、決断を迫られたときなどは誰にもあるものです。そんなとき、過去に接したメンターや先達、あるいは肉親などのことばが脳裡に甦り、そこから力を得ることもあるのではないでしょうか。
そうしたことばは多くの場合、誰か特定の個人に向けられたものかもしれません。しかし往々にして、万人に対する普遍性を持つものとして役立ってくれるものでもあるはずです。
今回、そうしたリーダーや先達たちについての文章を読んでまず感じたのは、そういうことです。
それはまさに激励であったり、警句であったり、叡智であったりと様々ですが、きっと心を揺さぶられるものがあるに違いありません。(「はじめに」より)
こうした記述からもわかるとおり、『リーダーの言葉力』(文藝春秋 編、文春新書)はさまざまな領域で功績を残してきた多くのリーダーたちのことばをまとめたもの。各界の著名人が、自身に影響を与えたさまざまな人々について語っているのです。
第一部「私の師が遺した言葉」では松下幸之助、丸山眞男、後藤田正晴、司馬遼太郎、小山内美江子らが、そして第二部「肉親と先達が遺した言葉」では水木しげる、美空ひばり、立花隆、半藤一利らが……と、登場する人物も多種多様。
きょうは第一部のなかから、やなせたかし氏に関するトピックをご紹介してみたいと思います。2013年に94歳で世を去ったやなせ氏といえば、『アンパンマン』シリーズで知られる絵本作家で詩人として誰もが知る存在。ここでは、その下で編集者として働いた経験を持つノンフィクション作家の梯久美子氏(63)が、“先生”との思い出を語っているのです。
「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」
私が心から「先生」と呼べる人を持てたのは、就職のため状況し、右も左もわからない東京で、必死で生き始めたときだった。
上京二年目の一九八五年、私は『詩とメルヘン』という雑誌の編集者になった。編集長はやなせたかし氏。亡くなって三年半になる今も(注・本稿は二〇一七年六月に発表された)、仕事で難しい問題にぶつかると、「やなせ先生、どうしたらいいでしょう」と心の中で問いかける。(41ページより)
『詩とメルヘン』は、詩人でもあったやなせ氏が、1973年から30年間にわたって編集長を務めた雑誌。読者が投稿してきた詩や童話に、一流の画家が絵をつけてくれるという、非常に画期的な媒体でした。
またイラストレーター志望者を対象としたコンクールもあり、その選出のすべてもやなせ氏が担当されていました。その結果、さまざまな詩人や作家、画家が輩出されたことはよく知られていますが、同時に多くの編集者もここから育っていったそう。自身がそのひとりであることを、梯氏は「私の誇りである」と記しています。
若くて無名で貧乏で、何かになりたいというこころざしを持った人に、先生はやさしかった。目が出た人も出なかった人もいるが、先生は、きらめく才能よりも一生懸命さを大切にした。「ヘタも詩のうち」「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」と、よくおっしゃっていた。(42ページより)
詩の選出をし、表紙やカットを描き、特集記事やルポを書き……と、やなせ氏は多忙な毎日を送っていたそう。しかも締め切りの一週間前にすべて完成させてしまっていたというのですから驚きです。
しかも“大正生まれのモダンボーイ”だったため野暮なことが嫌いで、怒ったり声を荒げたりしたことは一度もなかったのだとか。(41ページより)
「そういうことになるかもしれない」けれど
三十代を前にフリーになった私に、ある出版社から絵本の編集をしないかという話がきた。ずっとやりたかった待望の仕事である。人脈のない私が頼れるのはやなせ先生だけ。
おそるおそる頼みに行くと、「いいですよ」と快諾し、「いねむりおじさんとボクくん」という新しいキャラクターを考えてくださった。完成した絵本は好評で、第二弾も刊行されたが、しばらくしてその会社はつぶれ、絵本は絶版になってしまった。(41〜42ページより)
この世界で長く仕事をしてこられたやなせ氏は、そういうことになるかもしれないとどこかで思っておられたのではないか。それでも独立したばかりの自分にチャンスを与えるために、引き受けてくれたのではないか。当時を振り、梯氏はそう感じているそうです。(41ページより)
いつも明るくユーモアたっぷりだったが
また、氏はやなせ氏の没後に「アンパンマン」の版元である出版社から子ども向けの伝記を頼まれ、『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』という本を書かれたそうですが、その取材を通じ、やなせ氏の生い立ちを詳しく知ることにもなったといいます。
五歳で父を亡くし、母は再婚。戦死した弟さんは、親類の家でともに育った、たった一人のきょうだいだった。いつも明るくユーモアたっぷりだった先生が、ときどき寂しげに見えた理由を垣間見た気がした。(46ページより)
やなせ氏自身は製薬会社でデザイナーをしていた時期に招集され、中国大陸に送られました。戦争末期には食糧が不足し、飢えに苦しんだといいます。正義のための戦いだと信じて耐え、死も覚悟したにもかかわらず、戦争が終わってみると、「自分たちがしたことは侵略だった」といわれることに。
ならば相手は一方的な正義だったのか。そうではないはずだ。状況によって正義は逆転する。では逆転しない正義というものがこの世に存在するのか――。
考え続けてたどりついたのが、「飢えた子供に一切れのパンを与えること。少なくともそれは、ひっくり返ることのない正義であるはずだ」ということだった。
武器を持たず、飢えている人に自分の顔を食べさせるヒーロー、アンパンマンはこうして誕生した。(46〜47ページより)
アンパンマンは最初のころ、大人たちからは「顔を食べさせるなんて残酷だ」「気持ち悪い」などと批判されることもありました。しかしそこには、「正義には自己犠牲がともなう」というメッセージが込められていたわけです。(41ページより)
なにかの壁にぶち当たったとき、誰かのアドバイスがほしいと感じることはあるもの。しかし残念ながら、結局は自分ひとりで抱え込むしかないというケースも珍しくはないものです。そんなときこそ、本書のページをめくってみるべき。予想してもいなかった名言に出会う可能性は、決して少なくないからです。
Source: 文春新書