戦前の東京人は「借家」が普通でマイホームなど考えなかった…昭和の作家による自伝的小説からみる“引っ越し事情”

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私の東京地図

『私の東京地図』

著者
佐多 稲子 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784062901338
発売日
2011/09/10
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ずい分御本の多いおうちだ、とおもってたんですよ

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「引越し」です。

川本三郎・評『私の東京地図』佐多稲子[著]

 池波正太郎はエッセイで書いている。

「戦前の東京人は、自分の家を建てることなど、夢にもおもわなかった。どこにも手頃な借家があったからだ」(『男のリズム』)。

 借家に住むのが庶民の普通の暮しだった。マイホームが生まれるのは戦後。借家が多かったから戦前の人はよく引越しをした。

 昭和の作家、佐多稲子の自伝的小説『私の東京地図』は、大正四年、十一歳の年に長崎から上京し、敗戦後までの約四十年間の半生をベースにしている。

 最初に住んだ隅田川の東の向島から始まって神楽坂、目黒、駒込、根岸と「私」は引越しを繰返す。まるで引越し放浪記のよう。

 同時に下積み職業を転々とする。メリヤス工場で働くのを皮切りに浅草の中華そば屋、上野の料亭、日本橋の丸善。

 一度、結婚するが女の子を出産したあと離婚。子育てしながら本郷動坂のカフェで女給をする。大変な苦労人である。

 カフェで知り合った吉之助と結婚、ともに作家の道を志す。若い二人は高田馬場の貸家に引越す。

 貧しい夫婦に家財道具は少ないが本だけは多い。近所のおかみさんが新聞で作家の「私」の名前を見つけていう。「どうりで、お引越しのとき、ずい分御本の多いおうちだ、とおもってたんですよ」。

「私」の引越し先を見てみると東京の東から西へと移っている。東京の発展が東から西に向かったのと対応している。

新潮社 週刊新潮
2025年1月23日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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