「人生の重いプレッシャーから解放されていく」 養老孟司さんの教えの「効用」を石井光太氏が語る

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人生の壁

『人生の壁』

著者
養老 孟司 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784106110665
発売日
2024/11/18
価格
968円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

石井光太・評 『人生の壁』

[レビュアー] 石井光太(ノンフィクション作家)


ノンフィクション作家の石井光太さん

 ノンフィクション作家として数多くの人、とりわけ虐げられた人や弱者の人生を見つめつづけてきた石井光太さんが、「時々読みたくなる」というのが、『バカの壁』をはじめとした養老孟司さんの「壁」シリーズだという。最新刊『人生の壁』を石井さんはどう読んだのか。

 ***

 本書のタイトル『人生の壁』という文字を見た時、どのような状況をイメージするだろうか。
 学校での人間関係にせよ、職場での仕事にせよ、家庭での子育てにせよ、人生には数多の壁が存在する。生きるとは、そうした壁をどのように乗り越えるかということと言い換えられるだろう。
 ただ、近年、社会問題とされている事象に目を向けると、壁を乗り越えるどころか、それと向き合うことすらできていないケースが目立つように感じる。
 幼少期から親に「グローバル人材になれ」と言われて英会話からプログラミングまで習わされ、小1から受験勉強をはじめて私立の有名中学校に合格したものの、入学早々に燃え尽き症候群になり、友達の作り方すらわからず、不登校になって自殺未遂をする子ども。
 人との付き合いのが苦手だと言って長らくひきこもりの生活をつづけてきた挙句、一方的に社会への逆恨みを膨らませ、なんとか自分の存在を見せつけようとして、放火のような無差別殺人事件を起こすロスジェネの中年。
 私はノンフィクション作家として取材を通して様々な人に出会ってきたが、が、少なくない数の人が、それと向き合う力すらないがゆえに、何でもないことでつまずき、もはや自分は生きる価値のない人間なのだと思い込んで、勝手に人生に幕を下ろしてしまう。

 私はそのような人たちを見てきて、何がこうさせたのだろうと長年考えていたが、本書の一文に出会って、ああ、こういうことか、と膝を打った。次のような言葉である。
「自分とは中身のないトンネルのようなもの」
 世界の様々な秩序に比べれば、人はちっぽけな存在だ。いくら必死になってたくさんの情報を詰め込んで頭でっかちになったところで、自然の摂理や社会全体の構造を変えられるような力を持てるわけがない。
 昔の人は経験からそのことを熟知していた。だから農家や漁村の人たちは自然の流れに逆らうことなく身をゆだねて生きていた。良いことも悪いこともすべて受け入れながら、自分がやるべきことを無心にやりつづける。それが生きるということだったのだ。仏教に「無我」という言葉があるのはそのためだろう。
 ところが、養老さんによれば、戦後になると日本人の間で「中身がつまった存在」になることが“進歩” であるという考え方が主流になってきたという。いろんな情報やノウハウを詰め込むことこそが世の中を渡っていく手段なのだ、と。現代風の表現を用いれば、「スペックの高い人材こそが、社会の上級国民になれる」というような機運ができ上ったのである。
 現在、日本の教育業界で起きていることがまさにそれを示している。大人たちは「AIに負けない人間になれ」と声を合わせて、まだ日本語もろくにしゃべれない幼児に英会話を習わせ、リアルの人付き合いを学ぶより先にスマホを与え、小学校の授業で株式投資だの起業だのと教え込む。これこそがグローバル人材への正規のルートだ、と言わんばかりに。
 現実世界はRPGのように、多少の武器を手に入れたからといってクリアできるものではない。広い世界の中から自分の役割を見いだす、あかの他人と適切な関係を構築する、些細なことに人生の幸せを見出す……。高額な月謝を払って早期教育を受けてたくさん習い事をしたからといって、それらができるようになるわけではないのだ。
 この点をはき違えてしまえば、どうなるのか。スペックを高める競争に負けた子どもたちは早々と自信を喪失して、「私なんて生きてる意味ない」「どうせやっても無駄だし」とあらゆることを諦めてしまう。逆に、競争に勝った子たちは、壁に直面した時に、教え込まれたことが通用しないと知るや否や、「こんなはずじゃなかった」「騙された」と他人や社会の批判をはじめる。
 子どもの自殺率にせよ、若者の社会不適応にせよ、日本には社会問題が山積しているが、その一因はこの世で生きるということの本来的なあり方と、社会で価値があるとされていることとの間に大きな解離があるせいではないだろうか。だから、子どもも若者も寝る間も惜しんでスペックを高めようとしているはずなのに、驚くほど呆気なく壁にはね返されて立ち上がれなくなっているのかもしれない。

 本書でそれと対照的な生き方をした人物の一人として挙げているのが、中村哲氏だ。
 中村氏は九州で生まれ育った医師であり、アフガニスタンの復興に寄与した人物だ。医療活動だけでなく、趣味の昆虫採集でパキスタンやアフガニスタンを回っているうちに現地のハンセン病患者が置かれている状況を知って医療支援をはじめ、その後は生活困窮している庶民の暮らしを支えるために巨大な用水路を建設したことで知られている。
 彼はあり余る財産を持っていて、アフガニスタンへの支援事業を行ったわけではない。その取り組みによって、莫大な利益を手にしたわけでもない。むしろ、2019年にアフガニスタンで武装集団に襲われ、射殺されてしまった。
 では、なぜ中村さんは30年以上にわたって支援事業をしたのか。養老さんは本書で次のように述べる。

 中村さんがやったことは立派な偉業です。しかし彼自身は、偉業を成し遂げようとしていたわけではないし、ましてや後世に名を残そうなどと考えていたわけでもないはずです。本人が日々、やらなければならないこと、目の前にあることを片付けているうちに、到達したのがそこだったということです。(中略)
 中村さんの生き方に感銘を受けるのは良いのですが、最初から中村さんの二代目を目指しても仕方がない。以前から書いているように、仕事の本質は目の前の穴を埋めることです。穴が空いていたら、困る人がいるだろう。だから埋める。その延長線上に偉業があるかもしれないし、ないかもしれない。
ここを理解していない人がとても多いのです。

 同じことは、日本で暮らす私たちの日々の小さな仕事や生活においても当てはまるだろう。
 大切なのは、世の中にある穴を見つけた時、誰かが困るだろうと考えて、利益を考えずにそれを埋めようとすることだ。
 むろん、一人のか弱い力ではどうにもできないこともあるだろう。その時は、周りの人たちにその穴を埋める重要性を説き、協力してもらえばいい。本当に必要なことであれば、中村氏がそうだったように大勢の人が無償で手を差し伸べてくれる。そのような生き方こそが、人生の壁を乗り越えていくということなのだ。

 養老さんによれば、人生相談を受ける際、回答は大抵次の三つで済むそうだ。
「とらわれない、偏らない、こだわらない」
 社会には、人が生きるという自然の摂理から外れた観念が数多ある。それにとらわれたり、偏ったり、こだわったりするからこそ、人は壁にぶつかり、進むべき道を見失い、絶望に陥る。
 逆に言えば、生きることの本来的なあり方をしっかりと把握し、それに逆らわずにすべきことさえしていれば、人生の壁を乗り越えることができる、いや、これまで壁と思っていたものが壁ではなくなるのだ。
 では、そのためには何を知っておかなければならないのか。わずか200項余りの本書には、この答えが凝縮されている。
 今、人生に悩んでいる人は、本書を読み進めていくうちに、人生の壁が一つまた一つと消えていき、重々しいプレッシャーから解き放たれ、目の前に新しい世界が広がる気持ちになるはずだ。

新潮社
2025年1月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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